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観覧車グラビティ 第八話

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円山とゼロ、2

「やっぱ、夜って疲れますね」
 制服を脱ぎながら僕は話しかける。
「そうか? 俺は朝の方が辛いけどな。寝坊すんの怖いし」
 2つ上の先輩は制服に着替えながら答えた。

 夕勤のスタッフが一名、急遽仕事に来られないと会社に連絡があり、上からの指示で僕はいつもより2件多めに配送先を回り、残業だった。
 横で着替えている先輩とは、本当は顔を合わすタイミングがなかった。しかし僕とは反対に、勤務開始の時間を早めて2件多く回ることになったそうだ。
 2つ先輩と言っても歳は僕の3つ下だ。ただ、おじさんになってからの2つや3つの年の差は誤差に近い。互いに少なからず気は使うが、学生時代に聞いていた音楽は似ているし、テレビを見て育っていた世代でもある。SNSについても、あまり良い印象を持っていないところもよく似ていた。

 身幅の狭いロッカーが並ぶ更衣室で、せせこましく着替えながら他愛のない会話をしていると、学生時代を思い出して顔が綻ぶ。今も昔も、部室で喋るのは生産性のない会話だろう。しかしそんな生産性のない会話は全て、人生を豊かにするためには、必要な時間だったと思う。

 教師を経験するとそういう呪いがかかってしまうのかもしれないが、教師は押し並べて、なんでも一人でこなそうとする。

 一人の方が気は楽だし仕事も早くこなせる。しかしそれでは、いつまで経っても遠くには行けない。早く行くなら、一人の方がパパッと行ける。しかし、遠くまで行こうとするなら仲間が必要だ。自分の両手が届かないくらいの距離よりも遠くに行きたいのであれば、協力者の存在が重要になってくる。自分一人でできることや、自分一人で抱えられる重さには限りがあるからだ。
 病欠で行き場を失った荷物の荷捌きと同じだ。

 観覧車に乗ってゼロに会ってから、人に頼ることを覚えた。正確には思い出した、というべきかもしれない。人はいきなり変われない。思い出したところで、行動に移して成功するかは別の問題だ。無意識の意識なら尚更だ。

 人と関わりを持つと傷がつきまとう。僕が傷つくこともあれば相手が傷つくこともある。毎年数百人、10年間ほどでのべ数千人の生徒や保護者を見てきた僕にとって、誰かを頼るというのは、相応の覚悟が必要だと知っている。人間のトラブルのほとんどは、対人関係やコミュニケーションから生まれている。
 スマホの画面を上に向けて置くのか下に向けて置くのかを、いちいち頭で考えてから行動しないのと同じで、人は皆、無意識でどっちを守るのか判断している。
 仲間に頼るというのは、この「無意識で判断しているディフェンス感覚」みたいなものを、意識的に調整しなくてはいけない。人間関係のバランスと言ってもいい。そしてこのバランス感覚をとることこそが、結構難しい。
 自分を守りすぎた挙句、相手を傷つけてしまうことがある。反対に、相手を守りすぎたために、自分が深く傷ついてしまうこともある。

 だからこそ人は、すぐに効率を求めるのだろう。人との関わりをよりコスパ良く、よりタイパ良く行おうとしてしまう。
 グラデーションを作るのが苦手な僕たちらしい発想だ。

 2度目の一人観覧車の時、月野先生の死因について何から調べ始めれば良いかわからなかった僕は、とりあえず、傘を持って一人ゴンドラに乗るところから始めた。当時はもう6月に入っていたように思うから、今から2ヶ月ほど前になる。雨が降っていたから傘は悪目立ちしなかったし、観覧車に乗る人もほとんどおらず、ほぼ素通りでゴンドラに乗り込むことができたのは運が良かった。ゴンドラが9時の位置に差し掛かった時、ゼロは、なんの音も温度も匂いもなく現れた。
 握り棒を強く握り締め、踏ん張りの利かない足になんとか力を入れて、ゼロに訊ねる。

「あの、月野先生の死因を探すといっても、何から始めればいいのかわからなくて」
「円山さんが最初にすべきことは、仲間を見つけることです。月野さんの死因を探るには、一人だと大変難しいですよ」
「それは、誰……が良いのでしょうか?」この観覧車の存在を知ることになった、あの二人にでも頼れば良いのだろうか。
「おすすめは、元校長、教え子あたりでしょうか。死因について調べるなら、亡くなった方の関係者を味方にすると手っ取り早いです」
「元校長か教え子……」どちらも目の前にモヤがかかる。顔も名前もよく思い出せない。
「遅らせます?」ゼロが外を指差し、重たそうな上瞼を上に押し上げて僕に許可を求めてきたため、「1回、お願いします」と返す。これで8倍の時間が稼げた。世間よりも8倍早く年をとっていく。

「元校長や教え子の名前とか、教えてもらうことはできますか? 誰がおすすめ……みたいなのが知れると助かるんですけど」
 ゼロは例によって音もなく右手にファイルを出現させ、ペラペラペラと書類をめくり、日常から切り取った顔写真を見て「ああ、この子なんかおすすめですけどね」そう言って僕に面通しした。
 自分で聞いておいて、なんだか品定めしているみたいで嫌な気分になる。あなたにぴったりな人はこの人です、と機械的におすすめされたような不快さが、僕の肌の上をなぞった。
「あ、日奈田」懐かしい。元気にしているだろうか。卒業以来会ったことはなかったが、この仕事場のような場所で笑顔でいる様子を見ると、学生時代の頃の面影が重なって、親心にも似た温かさが僕を包んだ。
「彼女、地元のケーブルテレビで働いているようですよ」
 そうゼロに言われてハッとする。この仕事場と思しき場所はテレビ局の裏側のような印象があり、それゆえ部外者禁止のような雰囲気もある。殺伐とした感じというか、プロが集まっているというか。そんな日常のシーンを切り取るなんて、可能なのだろうか。
「そうなんですね、ケーブルテレビ局で……」と答えておきながら、撮影方法について詳しく聞くのはやめた。違法アップロードの作品を盗み見るのと同じで、異性のプライベートの時間を盗み見た時点で、すでに何かしらの罪に問われているのかもしれないと感じたためだ。

「元校長って、今何しているとかわかりますか?」
 女性よりも気兼ねなく日常を見られる気がしたため、元校長の方を提案し、作戦をそちらにシフトしようとした。しかしよくよく考えれば、同じだ。なぜ男なら良いだろうと思っているのだろう。僕も無意識のうちに差別や偏見があるのかもしれない。

 炎上の大半はいつもそうだ。よくよく考えれば止められるものが多いはずなのに、実際はそうはならない。無意識に意識していることは、よくよく考えないと意識できない。

「今、奈良市で市長をしているようですよ」例によってバインダーを出したゼロが、参加者一覧の名簿から来場者の名前を探し出すように、発見したわずかな喜びと作業としての退屈さが混じったような温度感で僕に伝えた。
「ちょうど来月、イベントがあるみたいですね。市長もケーブルテレビも来るような、大きなイベントが」
 もはやここまで来ると、この世の全てを知っているかのような錯覚に陥った。ゼロが直接、月野先生の死因を調べたほうが早いのではないか。その答えを教えてくれればいいじゃないか、という気分になる。


 制服から今朝着てきた私服に着替え終わった僕は、最後に鞄を取り出して、バタンと扉を閉めた。
「お先に失礼します」
「おう、気をつけてな」
「先輩の方こそ。予報通り雨降ってきたんで、道路、滑りやすくなってますし」
「ありがとう」
 僕は手を振り、ネームプレートに挟まっているIDカードで端末にタッチする。
 傘立てにある自分の傘を持って、会社を出た。

 このままどっかご飯でも行こうか、週末だし、一旦車を置いて飲みに出かけてもいいよな、などと会社の軒先で考えながら鞄からスマホを取り出してみると、メッセージアプリに「3件のメッセージ」と通知が表示されていた。
「珍しいこともあるもんだ」と、普段は息を潜めているスマホをまじまじと見つめ、画面のロックを解除する。アプリを起動して送信元は日奈田からだとわかり、日奈田なら飲みの誘いは無いかと、幾許か肩を落とした。

 定時連絡のように、要件のみ箇条書きで書かれている。
「おじさんは文章をまとめて打ちがち! 今の若い子はそんな書き方しない!」とテレビか何かで話をしていた、ギャルのようなモデルのような人の顔が浮かぶ。
 その人がいう「今の若い子」に日奈田の年代は入るのかわからなかったが、僕なら1件でまとめて打ってしまいそうだな、と思うとやはり自分のことをおじさんと認めるしかなかった。

 ルッキズムが問題になる世の中だが、おじさんのことはおじさんと呼んでも良いことになっているようだ。パワハラだ、セクハラだと、ハラスメントが30も40もあるこの国はついに、「マルハラ」まで登場したらしい。おじさんが文末に「。」をつけた形で文章を送ると、無意識に圧迫感を与えるからダメだ、という論調だった。
 また、ゴキブリの殺虫剤に描かれたゴキブリのイラストにシールで目隠しをする話も聞いた。
 そうまでして不快なものは見ないようにして、徹底的に容赦無く、気に食わないものを駆除する時代だ。おじさんはひっそりと息を殺しながら、慎重に生きていくしか無いように感じる。

 そんなことを考えながら、「ありがとう」「助かったよ」と手早く2つ返信した。続きをなんと入力しようか考えていたら、既読になったためハッとする。今まさに、スマホの向こうで審査員が睨みを利かせているような想像をした。「次のテキストは、おじさん構文になっていないだろうな?」と、試されるような気分。しかしその心配は杞憂となる。
 日奈田の方から、短くテキストが入ってきた。

「あんた誰」

 新しい若者言葉だろうか。アンタダレ。誤変換にしては候補が思いつかない、表記通りの意味なのだろう。急に日奈田が記憶喪失になったとか……? いや、3件のメッセージを送ってきてくれたのは、ほんの2時間ちょっと前のようだ。合理的に考えてあり得ない。
 メッセージアプリを開いたまま思考を巡らせていたからだろうか、既読になっているのに返事がスムーズに返ってこないことにイライラしたのかもしれない。
 僕のスマホの液晶に「日奈田」と表示される。日奈田から電話がかかってきた。

<続>

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