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合気道の思想的ルーツをたどる:老子の思想から紐解く陰陽の原点

合気道を産んだ植芝盛平は「合気道とは古事記の実践である」という言葉を残している。

若い頃からおそらくは何者かになろうと足掻いていた彼の運命を変えたのが「大本教」の指導者・出口王仁三郎との出会いだ。

大本教は神道系なので古事記についても研究していて、特に「陰陽」の概念は合気道にも大きな影響があると思う。

陰陽のルーツ

日本の陰陽という考え方は中国の陰陽五行思想からで、これは春秋戦国時代(紀元前770〜221)にできたと言われている。

その根源的な思想は老子の「道」の概念に近い。

老子は紀元前570年頃の人物だとされており、古事記が編纂されはじめた712年よりも遥かに前だ。

古事記の序、第一段で語られる世界の始まりにおける陰陽はこんな感じ。

それ、混元既に凝りて、気象未だあらわはれず。名も無くわざも無し。誰れかその形を知らむ。然れども、乾坤けんこん初めて分れて、参神造化のはじめとなり、陰陽ここに開けて、二霊群品の祖となりき。

岩波「古事記」より

まだ形のハッキリしない状態の根元が天地で分かれて造化の三神が生まれ、陰と陽がわかれてイザナギとイザナミが万物の祖になったという話。

老子の「道」についての説明はこうだ。

「道」は一を生し、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負い陽を抱き、沖なる気は以って和を為す。

角川ソフィア「老子・荘子」より

老子は万物の根元を「道」として、この根元と陰と陽の三つから万物を生み出し、陰の気と陽の気は沖気によってバランスを保たれる、みたいなことを言っている。

古事記はこの「道」の思想をより神話的に語っているとも考えられるだろう。

老子の合気道

老子には合気道的な要素が多い。

柔弱は剛強に勝つとして、こんなことを書いている。

敵を縮めたければまずは張れ、弱めたければしばらくは強めてやれ、排除したいならまずは拡大させろ。奪いたいものがあるなら必ずしばらくは待たせておけ。

老子・第三十六章要約

ほとんどの場合、過剰に力を与えられるとそのせいで勝手にバランスを崩してしまう。

権力が強まれば権力闘争がはじまるし、勢力が拡大すれば維持が困難になる。

不自然にバランスを崩した状態であることが真の問題なのだというわけだ。

無為を為し、無事を事とし、無味を味わい、大ならんとすれば小に、多ならんとすれば少に、怨みに報いるに徳を以てす。
難きを其の易きに図り、大を其の細に為す。天下の難事は、必ず易きより作こり、天下の大事は、必ず細より作こる。
是を以て聖人は、終に大を為さず。故に能く其の大を成す。夫れ軽諾は必ず信寡なく易きこと多ければ必ず難きこと多し。是を以て聖人は猶お之を難しとす、故に難無し。

荘子・第六十三章

余計なことをしないというのは、やってしまうよりも遥かに価値があり、安請け合いすれば後で難しくなる。

だからこそ大きなことから手をつけずに小さな内に対処する。聖人は簡単な内に対処することを難しいとするからこそ、難しい局面に陥らない。

というような話も合気道っぽい対処法だ。

その他にも海にあらゆる川が繋がるのは海が一番低い位置にあるからだとか、いちいち「合気道やってた?」と聞きたくなるようなことが書いてある。

繋がるもの

というワケで老子の「道」という思想は日本では密かに影響がありそうだ。

天皇制なんかも、ある意味では「道」にそったシステムなのかも知れない。

存在そのものに意味があるというのもなんだか老子的な感じがする。

なんなら合気道は老子の「道」の思想に先祖返りした部分もあるかも知れない。

ただ合気道はこうした思想を一歩進めた部分もあって、それは実際に人と対する時にも同じだということだ。

ある程度まで、まずは相手のやりたいようにやらせることで相手の力を利用することができるし、反対に技がうまくいかないのは自分で何かをしようとしすぎるから。

そんな風に考えてみるとなかなか面白い。

まとめ

合気道というのは古事記の実践だというけれど、それをもう一歩踏み込んで考えると老子の思想などから来ているような気もする。

たぶんだけど博学な出口王仁三郎なんかはこうした知識も持った上で世界観をつくりあげていたんじゃないかとも思う。

ある意味でこうした思想を身体で理解するのにも合気道って使えるんだろうなーなどと考えた。


マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?