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人間の構造【合気道と野生の思考】

第六章「普遍化と特殊化」、第七章「種としての個体」では名前の付け方の法則性みたいなものが議論される。

未開人たちが行う複雑な命名規則が、どういう風に現代の命名規則と似ているか?

一見すると特殊そうなものでも、構造から見ると同じに見えてくる。つまり人間のやってることは構造的にはそんなに変わらない。

命名のパターン

合気道とは自然から学ぶ武道だと言われているけれども、人類はそもそも自然にそういうことをやっていた。

未開人はトーテムとしての名前があったり、苗字みたいな感じで氏族名があったり、あだ名があったり3つか4つくらい名前があったりする。

色々な法則性があって、部族の名前に上限があってそこからあふれていたり、あるいは一人前と認められていない場合には名無しになるとか、

夫が変わるたびに子供の名前を新たに命名し直すとか、色んな家族があるけれどレヴィ=ストロースによればそれは人類の体系においてはほんのわずかな差異でしかないという。

このあたりを読んでたおれの感想は「なんか蜂の巣みてーだな」だ。

自然界のパターン

オーストラリアのミツバチは巣を螺旋状につくることで知られているけれど、いくつかのバリエーションがみられる。

蜂の巣4パターン

大きな形になったときには、複雑なパターンのように思えるけれど、ハチたちは実は単純な法則に従ってブロックを置いていることがシュミレーションによって明らかになった。

わずかな差異が最終的な形状の変化につながる。

人間の命名規則もこれと同じで、どこにブロックを置くかによって変わっていっているだけなのだろう。

合気道の裏表

合気道にも裏と表という区分がある。

おそらく一般的には相手が引いてきたり、こちらが先手を取れれば表で相手が押してきたり、後手に回ってしまったら裏みたいな解釈だろう。

だけどこれも、できるようになるにつれて表っぽい裏もあるし、裏っぽい表もあり得る。

加減によって無限のバリエーションがあるかのようだけれど、本質的にはパターンはひとつしかない。

人間が動植物や昆虫と違うのは、この構造を理解すれば意図的に操れるということだ。

それがつまりは合気道だということになる。合気道の「合」とは天地と息を合わせることだから。

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