なぜ「仙骨」が重要視されるのかを考えてみる:部分と全体の話
最近よく「仙骨」こそが武道武術において重要な部位だ!みたいなのを聞く。
なんなら稽古してても、YouTubeとかを観たって人がそんな風なことを言ってきたりする。
というわけで仙骨がなぜそんなに重要なのかちょっと考えてみた。
ちなみに仙骨がよくわからない人向けに説明すると、人間に尻尾があった名残と言われている「尾てい骨」がくっついているのが仙骨だ。
仙骨は重要
そもそも仙骨というのは英語でもかつては聖なる骨と呼ばれていたくらいで、各国でめちゃくちゃ偉そうな名前がつけられている。
日本での最初の和訳は護神骨だし、とにもかくにも発見された当初から重要な部位ということに変わりはない。
というわけで仙骨はそもそも色んな分野で大事と言われてたりするのだ。
部分を意識させる
武術風にいうなら肚だとか丹田とかもだいたいこのあたりの位置なので、武道武術においては丹田、重心、仙骨というのは概ね同じ事を指していると考えてもいいかも。
位置もけっこう大事で、立っている人間に集まる重力の中心位置(重心)というのはだいたい仙骨周辺になる。
ブリッジしたりしない限りは重心の位置はそこを大きく外れることはそんなにない。
登山とか重い物を持つ仕事なんかでは持つ荷物の重心が自分の重心よりも上、かつ近くにくるように指導していたりする。
物体を抱えたり動かしたりするときに重心がどこにあるかを知ることは重要なのだ。
そういう意味では部分として、意識しておくことも大事かも。
全体を意識する
かの有名な沢庵和尚は『不動智神妙録』で柳生に対して何か一点に注目することの危険性を説いてる。
そんなわけで「仙骨」とは何かというと、全身に広がっている骨の一部分で、仮に仙骨を操作すると言っても、その結果として動くの仙骨だけではなく全身だ。
武道武術でもうひとつ忘れてはいけないことは相手がいるということ。
相手をどうにかする為には自分だけが動いても意味がない。
相手の重心の位置だとか、体勢だとか、心情だとか、そういったものも含めて技が効く、効かないといった現象が起こる。
てなわけで、仙骨というのは重要ではあるけれどやはり部分であって物事の全体ではない。
そこらへんは使い分けないといけなさそーだなと思っている。
おわり
マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?