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脱力とは何かをわかりやすく説明してみる:合気道で考える力の抜き方

サリンジャーの短編『大工よ、屋根の梁を高くあげよ』で、主人公のシーモアは自分は「死んだ猫になりたい」という。
死んだ猫には誰も値がつけられないから、最も価値があるのだとか。

失われたものというのは、もはやその価値を正確に測ることが不可能だ。
合気道ではこれを利用して相手をコントロールする。

脱力して力みをなくすと、あるはずの力がなくなる。そうすることでまったく別の反応を引き出すことができるのだ。
合気道の稽古とは、生きていながら死んだ猫になることを目指しているんだと言えるのかも知れない。

形があるものは持てる

意識のない人を運ぶのは意識がある人を運ぶより大変らしい。
水の入った人型の袋を持ち上げるようなものなので、完全に背負う必要があるからだ。
おんぶや抱っこで人を運べるのは相手も力を入れて固まってくれているからで、形が固定されているから運びやすい。

意識のない人の担ぎ方

握手をするときは強く握った方が相手の印象がよくなる、などという心理学の実験がある。
これは要するに捉えどころがあるからだ。強く握れば形がハッキリするので、どういう人間なのかもわかりやすくなる。

世の中はそんなもんで、ハッキリしないものっていうのは評価が難しい。評価されたいなら単純でハッキリしている方がいい。
形がわかるものの方が、持ち上げやすいのだ。ベンチプレスで100kgあげる?すげー。
3人に持ち上げられた状態から3人全員を倒せる?ほんまか???

呼吸力の養成

合気道には呼吸法と呼ばれる稽古がある。正式名称は座業呼吸力養成法(すわりわざこきゅうりょくようせいほう)。長い。
これは呼吸力(こきゅうりょく)という謎のプァワァを鍛える稽古で、互いに向かい合って正座して、一方が相手の両腕を掴み、掴まれた方はその接点を利用して相手を押し倒す。

何にも知らない人どうしでやると、腕力でぶつかり合って汗まみれになりながら押し合いへし合いになる。

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(植芝盛平著「武道」より抜粋)

ところが、この稽古に慣れた70代とか80代とかのじいさんは、へらへら笑いながら汗もかかずに30代で身長180以上の外国人でさえひっくり返す。これが呼吸力という意味不明のパワーなのだ!こわい!

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(植芝盛平著「武道」より抜粋)

なぜ死にかけのじじいが若者を手玉に取れるのかというと、結局のところ若者は無駄に力が入っていて形がハッキリしているから持ち上げられやすく、逆にじじいは脱力してるからどこを押せばいいのかよくわからなくなるのだ。

同じ重さの石と水、持ち上げやすいのは石の方だ。

脱力のやり方

めっちゃ金が欲しいとか、有名になりたいとか思ってる人は儲け話を持っていけばコロッと騙せる。型に嵌めやすい。
自分に力が入っている人は動かしやすい。鼻先にぶらさげるニンジンが簡単に見つかる。

別に金もいらないし、有名にもなりたくない人はタチが悪い。動かしにくいのだ。手間をかけないと動いてくれない。
自分に力がないことをわかっている人は無理な動き方をしないからだ。

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(鳥山明『ドラゴンボール』より)

パワーにしろ欲求にしろ、どこかがわかりやすく大きく突出してしまうとそれは狙いやすい弱点になる。

力を入れてしまう人の動かしやすさ、力を抜いている人の動かしにくさはこういう部分にあると思う。
強そうに見える人が、まったく別の土俵に連れていかれた時にそのまま強いとは限らない。

合気道で心が重要だといわれるのも同じことだ。
脱力というのは世間ではけっこう簡単にできることのように言われがちだけど、本当に脱力するためには心から脱力する必要がある。
脱力が大事とわかっていても、心が未熟だとちょっとしたことですぐ力が入ってしまう。ちょっとしたことで心が揺らいでいたら力はすぐにこもってしまう。

まとめ

絶対に負けたくないと思えば体に力が入る。
もう勝ってるんだからどうでもいいと思ってれば体から力は抜ける。
そんくらいのちょっとした違い。

死んだ猫になっても本当に死んでたら何もできない。
攻めの脱力をするためには生きながら死んでいる猫にならねばならない。

そんくらいしかわからん。だるいから。





お〜わ〜り〜





マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?