無を数学で考える:合気道の基本思想「武産合気」との共通点
『世界はなぜ「ある」のか?』という本に面白い考察が書いてあって合気道の思想にも通じるから紹介しとく。
0=1-1
「1」と「-1」を足すと「0」になる。当たり前だ。
でもこれを逆に考えると「0」は「1」と「-1」というふたつのものに成るということでもある。
無からは対になるもの「1」と「-1」が生まれたということだ。
これは合気道の陰陽と同じ考え方でもあって、さらにオックスフォード大学のピーター・アトキンスは宇宙の創造のはじまりについて「対をなすものをふたつに分けるのは、それら二つの、時間の流れにおける向きである」とした。
時間の流れがなければ「-1」と「1」はゼロになって消えるけれど、時間があることでこの二つのものが対を成す。
シンプルに言えば生死がそれで、人の人生を短くまとめれば生まれたときは「1」だし、死んだら「-1」で結局のところは「0」になっているけれど、その間に時間があるからこそ、多くのものが生まれるというわけだ。
武産合気と陰陽
武産合気にも「過現未」という言葉が出てくる。
過去、なんなら人類の歴史すべてが「今」の自分のためにあり、だからこそ未来があるというような事を言っているし、そもそも開祖や大本教の宇宙論もこの発想から出発していることは間違いない。
物理の世界でも物質が生まれる時にはそれと対になって打ち消しあう反物質というのが出てくることがわかっていて、なぜ現在の世界に反物質がほとんどないのか?ということが長年の疑問だった。
近年になってわかってきたのは物質の方が反物質よりもわずかに寿命が長いことがあるというもので、それが137億年前から繰り返された結果、今の世界は物質が支配するものになったと考えられてるってわけ。
集合論
こうした思想の説明につかえるもうひとつの数学理論が「集合論」で、集合とは何かの集合体のことだけれど、反対にその集合が間違いないものであることの証明として「空集合」といって何も集合していないけれどあると仮定された集合が提示される。
例えば「子供を出産した女性の集合」があった場合「子供を出産した男性の集合」と対偶すると「子供を出産した男性の集合」は存在しないから「子供を出産した女性の集合」が正しいということが証明できるというわけだ。
知らんけど。
ただこの空集合があると仮定できるなら、「空の空」があると仮定できるし、それがあるなら「空の空の空」もある、という感じで無限に増えて宇宙を書き記すことができるという……。
つまり仮に存在しないものがあるとしたら、それは無限に存在するということでもあるという矛盾めいたものだ。
といっても最近の宇宙論ではこちらの宇宙とは真逆の時間軸で流れる宇宙もあるんじゃないのっていう説が出ていたりするので、もはや単なる言葉遊びとも言い切れない。
合気道の宇宙論
まあそんなわけで「武産合気」という合気道の哲学を語った本では、当時の言葉で書かれているから読むととんでもなく宗教的なブッ飛んだ世界観が語られているようにも思えるけれど、実はそれほどイカれた話でもない。
数学も集合も特に考えてなかっただろうけれど、宇宙の働き、生命がどうやって生まれるか?とか、どうやって増えるのか?といった基本に立ち返って考えると、これに近いものは見えてくるのだと思う。
そんな視点で「武産合気」を読んでみるのも一興かも知れない。