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誰かのせいにする人たち_自分の人生を生きる

札幌は快晴23℃。いつも通りロードバイクで近くの手稲山へヒルクライム。タイムは今年一番。帰りはダウンヒルで風を切って一気に下る。ヒルクライムで熱を帯びた体を冷やしてくれる空気が気持ちいい。オープンイヤーのイヤホンでspotifyで星野源のアルバム「POP VIRUS」を聴きながらロードバイクを走らせて家に帰る。いつも通りの最高の休日。


私は、今よりいい人生をイメージできない。もうすぐ50歳になるけれど、これ以上素晴らしい人生は望めないといつも思う。

もし人生をやり直せるなら、もっとこうすればよかった、こうしたい、と思えることが私には一つも思いうかばない。

かといって、自分の人生がすべてがうまくいったとも思っていない。一言でいえば、まあまあの人生だ。25歳でかなり悪性度の高いがんになって半年闘病したり、それなりのイベントもあった。人生やりなおせるなら、闘病イベントは無しにしてもらいたいと思うけれど、それも含めて悪くない人生だと思う。

闘病は別として、私は自分の人生を掛けたチャレンジをして成功したとか、人生の分かれ道で何かをえらんだ、というような経験がない。そしてそんな経験をしたいとも思わない。

成功や達成のための大それたチャレンジ。そんなものがないからこそ、今の人生が素晴らしいと私には思える。大きな賭けにでて、そこで何かをつかみ取った人生だとしたら、その賭けに失敗していたら自分を否定して生きるしかなくなるかもしれない。そんな賭けにでることなく、そんな状況に追い込まれずに生きてこられたというのが、自分の人生が素晴らしいと感じられる一番の理由かもしれない。

そしてもう一つ。
私は親を含めて他人から何かをやれといわれて、それに従った記憶が全く無い。物心ついたときから「なんでもいい、どっちでもいい」が口癖の、大人たちが驚き、心配するくらいやる気のない子供だったけれど、何でもいいと言いながら、大人がやれと言うことには従わない、本当に扱いずらい子供だったとおもう。

母親が中学校入学の時に申し込んできた塾は一日もいかずに退塾した。高校は家から5分の学校に通っていたのに毎朝NHKの朝ドラを見てから登校していたので、毎日遅刻していた。学校の教師の言うことも聞かず、進路希望も一切出さないし、修学旅行も自由行動の日は終日京都のゲーセンにいた。体育祭や文化祭も参加しない。悪いことは別にやらないけれど、学校のルールにも先生の言うことにも従わない。父親は大工の親方で学校の勉強なんて何の意味もない、高校を出たら働け、と言うような古い人間だったけれどそれに従うこともなく、奨学金をもらって大学に進学した。

大学は本当に自由だった。誰かに何かをやれと言われることが一切ないので好き勝手にやっていた。競馬と酒の日々を送る10代の終わりから20代前半。

就職氷河期の中、何とか入社できた会社は非常にトラディショナルな会社で、一年目は全員が全寮制の研修寮で共同生活を送るのだけど、私は勝手に近くに部屋をかりて彼女(今の妻)と共同生活を送っていた。20代で会社の人事を拒否したらすぐさま北海道に飛ばされた。

書き出してみると、親の言うことも先生の言うことも、学校のルールも、会社のルールも一切無視して、自分のやりたいように生きてきた。なんでもいい、どっちでもいいといいながら、誰の言うことも聞かずに生きてきた。

客観的に考えて、最高の人生だと思う。

だから、もう一度人生をやり直せと言われても私は同じように生きると思う。人生は病気になったり、色々な理不尽なイベントが起きるのだろうけれど、結局誰の言うことも聞かずに自分が思う通りに生きることしか、私にはできない。結局のところ、私はそういう人間だということだ。

私は人生に強いこだわりはなく、行き当たりばったりに生きているけれど、それは自分の人生だと100%納得しているから、誰のせいにもしない。まあ、誰の言うことも聞かないのだから誰のせいにもしないのは当たり前だ。

逆に言えば、誰かのせいにする人たちは、誰かの言うことを聞いてきたのだろうな、と私は思う。誰かのせいにするくらいなら誰の言うことも聞かなければいいのにと私は素朴に思う。いろいろな言い分があるのだろうとはおもうけれど、自分の人生なのだから、誰かのせいにするような生き方をする必要なんてないと私は思う。自分が様々な点でとても恵まれているということはもちろんわかっているけれど、それでも。


自業自得
唯我独尊

誰のせいにもすることなく、
私は自分の人生を生きていく。


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