見出し画像

ダイバーシティ_トラとキツネとフェイクファーの話

今日の札幌の最高気温は30℃。まだ6月なのに、去年の猛暑と同じ気配が北の大地の週間予報にも漂いつつある。

夏至の札幌はとにかく日の出が早い。晴れた日は朝の五時には昼間のような明るさだ。休みの日のルーチンワークのロードバイクでの手稲山ヒルクライムも暑さを避ける意味でもだんだん出発が早くなってきて、今日は5時半には家を出発していつもの道を通って、いつもの山を登ってきた。オープンイヤーイヤホンのスピーカーでスピッツの1998年のアルバム「フェイクファー」を聞きながらペダルをひたすら回す。「フェイクファー」は札幌で暮らした大学時代に一番よく聞いていたアルバムだ。山に向かう道の途中で今年初めてキタキツネとすれ違った。道路を悠々を横断して、工事現場のゲートをくぐって、そこから私を見ていた。今日はいつもより少し早く出発したので道路の車も少なかったので、まだキタキツネが歩いていたのだろう。人間が偉そうな顔をして二酸化炭素と騒音をまき散らして生きる世界は、人間が眠っている間は動物たちの世界になる。私たちが気づいていないだけで、彼らは彼らの世界で生きている。そして、その世界と私たちの世界との境界線はとても曖昧なのだと北海道で生きていると感じることが多い。



ダイバーシティ。多様性。社会の多様性はとても大切だと思うけれど、これがビジネスとつながるとにわかに怪しくなる。

今週は社内でダイバーシティのシンポジウムが開催され、各職場で会議室にあつまってWEBで視聴するようにと通達がきていた。全員が同じ時間に同じシンポジウムに参加するのが多様性なのかいまいちわからなかったたけれど、従順な私は職場のメンバーが一緒に参加できるように大会議室をセッティングして、社内の女性や若手と一緒に視聴した。

そこでは女性の講演者が多様性の大切さについて講演していた。テレビなどでも出ている有名な人らしい。30代で東大、東京芸大の准教授を歴任しながら起業家の一面もあるというピカピカの経歴。彼女が女性が活躍する職場の大切さについて話していて、なかなか説得力もあるし要旨も明快でわかりやすく、さすがだなぁと思って聞いていた。男性は自分の能力を3割増しで過大評価しているのに対して、女性は3割引きで評価する傾向があり、その自己評価の低さが女性が管理職になりたがらない理由にもなっているので、管理職に昇格してほしい女性には「きみならできる」と3回は言ってほしい、と言う話をしていて、そんなものかなと思って聞いていた。

講演会が終わった後に一緒に参加していた職場の女性主任に「どうだった?」ときいたら「あんな人と私たちを一緒にしないでほしい!」とかなり強く言われてびっくりした。確かに30代で東大の准教授になる起業家の話に共感しろと言うほうが無理があるのかもしれない。

多様性はとても大切だと私は思う。でもそれがビジネスの文脈と混じったとたんに、社員に成果を上げさせ、生産性を上げるための話になってしまう。生産性を上げることが最優先という企業の論理をベースに話が進むのでおかしなことになる。男性が自分を過大評価し、女性が過小評価するというけれど、過小評価する女性のほうが正しくて、自分を過大に評価して「私はできます!」と言わざるを得ない、そう言うことが良いという社会や企業の仕組みのほうがおかしい、となぜ思わないのだろうか。その仕組みに苦しみ、会社を辞めていく若手がこれだけ多い中で、さらに女性も同じラインまでハードルをあげて「あなたならできる」と言うことがほんとうに多様性なのだろうか。論理的に考えれば、男性たちに「そこまで頑張らなくていい、もう少しハードルを下げていこう」という流れで生産性を少し下げて人間らしい生き方をできる社会や企業を目指すという話になるはずなのに、企業の論理、資本主義社会の論理では、結局「人間」よりも「法人」のほうが偉い。そんな世界に生きているのが私たちなのだということが良くわかる有意義な講演会だった。

今回の講演者や今の朝ドラの主人公のような、社会の前面で戦える本物の虎なんて男性も女性も本当に一握りだろう。それをロールモデルにもっと活躍しろと人間に促す社会が本当に多様な社会なのだろうか、私にはどうしてもそうは思えない。少子高齢化で労働力が減ることが確実な日本で、今と同じ成長を続けるための新しい構造的なしがらみを作っているだけのように、私には思える。


多くの女性が虎のフェイクファーをかぶって苦しみながら頑張る社会。
そんな社会を目指す必要があるのだろうか。

真に多様な社会を目指すなら、フェイクファーをかぶせられたかわそうな男キツネたちの虎の皮を脱がせてあげるほうがきっと先だろうと、私は思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?