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人生のハーフタイムショーがやってくる

「お前いくつになった?」
「46です」

「じゃあ、ポストオフまであと14年だ。今の仕事をあと14年だぞ、飽きるぞ」

少し前のnoteに自分は仕事に飽きつつあるのでは、ということを書いたばかり。先週末久しぶりに飲みに行った先輩にズバリ言われてドキリとした。

出世に興味がないと書くとホントかよと思われるかもしれないけれど、正直全然興味がない。ただ、上の人間にあれこれ言われながら仕事をするのが性に合わないのでさっさとマネジャーになりたいとは思っていた。

役員とか支店長とかにならない限り、私の会社では今のマネージャーが「あがり」のポストになる。以降は専門役とかそういう補助的な役職だ。私の仕事は一つのプロジェクトが数年続くプロジェクトタイプの業務で、その都度プロジェクトメンバーも変わるのでルーチン的なスタッフ部門を比べると飽きにくいとは思うけれど、先輩マネジャーに真正面から「飽きるぞ」と言われると、「そうですか・・・」としか言えなかった。

誰もがマネジャーになれるわけではないし、わりあい早くマネジャーになれたことは運がよかったのも含めてありがたいし良かったと思うけれど、これからの14年間を考えたときに本当に飽きずにバリバリ仕事ができるかと言われると正直自信がない。

そして50代に入ってから「本格的に飽きて来たな」と思ったときに、じゃあ別のことをやろう、という前向きな気持ちになれるかというと、「まあもうすぐポストオフだからそれなりに働くか」と言いながら60のポストオフをむかえ、5年先の定年までをさらに低空飛行する自分の姿が目に浮かぶ。

私は根っからの惰性人間なので、今やっていることをいつまでもだらだら続けられるし、何もしなくて良ければ何もしないままいられる。気が付いた時には体も気力も衰えたアラカンとなり、定年して自分の部屋でぼんやりネットをやっている自分。それはそれで幸せな気もするけれど(休みの日は今もそんな感じだし)、きっとそれとは違う人生の選択肢もあるのだろうなと46歳の今は思う。

46歳。
二十歳のころから考えたらちょっと想像できないくらいのオジサンだけれど、実際になってみると驚くほど、あの頃とメンタリティが変わっていない自分がいる。精神的に成長していないと言われればそれまでだけれど。

きっと大学時代から付き合っていた彼女と結婚して、子供がいないので、ライフステージが20年以上全然変わらないのがメンタルにも影響しているのだと思う。大学時代に行っていた喫茶店に、今でも普通に行くし、母校の大学が札幌駅に行くときの通り道なので普通にあの頃と同じように自転車で学校の中を走るし、学食にも行くから、二十歳のころ目に映っていた景色と今目に映る景色があまり変わっていない。ふと目が覚めて、今日からは会社じゃなくて大学に行って講義をうけるように、と言われてもすんなり適応できそうな気がするくらいだ。

あと十年たっても今と同じ気持ちでいられればそれはそれで素晴らしいと思うけれど、体力と気力を今と同じように保つことができるかと聞かれれば、それは無理だと答える自分がいる。私は確実に年をとり、老いていく。


私の人生100年計画では、勝手に25年ごとに人生を区切ることにしている。49歳までが第二クォーターで50歳からは第三クォーターだ。ここ数年で後半戦に備えた準備をしないと、スタミナ切れを起こして惰性で人生後半戦を戦うことになると、なんとなくソワソワした気分になっている。

そして第二クォーターと第三クォーターの間にはハーフタイムショーがあるのがお約束だ。人生のハーフタイムショー。あまり派手なやつは好みじゃないけれど、しばらく時間をもらってハーフタイムショーを楽しみたい気持ちもある。

マイケルジャクソンもマドンナもアッシャーも出演しない自作自演のハーフタイムショー。自分が楽しむためのショーとそのあとに続く後半戦の準備の時間はあと3年。

さて、なにをしようかな。


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