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20221227 令和の青年団はどこへ行く?


 
 先日,櫛田神社の大注連縄の懸けかえのニュースについて書き,「氏子青年会の高齢化」について少し触れました。祭に関してはその担い手として「青年」への期待が大きく,「青年会」や「若者組」などの役割などもよく検討されてきたと思います。また,祭を取り上げるドキュメンタリー映像などをみると,イケメンで性格も良い若者が「祭の主役」を果たすことで大人の仲間入りを果たしていく通過儀礼的ストーリーが取り上げられることが多い気がします。
 しかし,そうした「祭の主役」となることが期待されている若者の姿を,祭の期間以外で見かけようと思うとなかなか難しいと思います。博多祇園山笠では7月以外もず~っと祭の準備がなされていて,櫛田神社で山笠振興会の総会などが行われていますが,そこに出席されているのは振興会のえらいさんに各流のその年の総務さんや山笠委員の人などがでられるくらいで,取締レベルの人を櫛田神社でみかけることは6月くらいにならないとなかなかないと思います。そういう意味では「名実的に青年とよべそうな,30代くらいまでの人たち。」はさまざまな地域でどのようにまとまり,どのように祭に関与しているのかなあと思っていたところに見つかったのが以下の論文でした。
 
楠瀬慶太 2020 平成の青年団と地域祭礼―高知県における変遷と実践活動―. 高知工科大学紀要, 17(1), 91 – 108.

 これを読んでみると青年団の研究は非常に多くなされてきたようで,本来ならばその研究史のレビューを私も読みこんで理解した上でこの論文を読むべきなのでしょうが,それはやはり荷が重いので要点のみを確認することをお許しください。

「再生期」(平成元年~7 年)、「衰退期」(平成8 年~22 年)、「復興期」(平成23 年~31 年)という青年団活動の画期を設定した。

 まず自分にとって意外だったのは,昭和の時代から平成に至るまで「青年団は同じ調子で減少していった」と思っていました。しかし,この論文では平成元年~7年が「再生期」とされていました。
 そしてよく考えたらその時期は「団塊ジュニア」が青年になっていったころなので,「青年の絶対数」が一番多かった時期ではあるのですよね。そしてまだバブルも崩壊しておらず,バブルが崩壊した後もCDの売り上げなどは上昇したりで「若者への注目」や「若者文化への注目」はあったから青年団自体も再生できたのかもしれません。
 
 では,なぜ平成8年から衰退期に入っていったのか?というのは全国各地でいろいろ違ったりもするのでしょうが,高知県の場合は以下のような要因があったようです。

再生期に見たような団員数減少という難題を克服できないまま青年団は長い衰退期を迎える。記事で紹介される団体数も平成10年ごろから大きく減少し始めており、この頃多くの青年団が活動を休止したことが推測される。平成の大合併による自治体再編も青年団の減少につながっている。青年団だけでは地域の恒例イベントが担えなくなり、イベントの協力団体の一つとなっていく。

 青年団の主要メンバーを自治体職員が果たすことが多かったが,平成の大合併で自治体職員の数が減ったため,青年団を回せる人が減ったというのは大きな要因だなあと思いました。このあたり,18歳人口の減少と大学進学率の上昇などもあり,青年団に入りうる「高知に残る青年」がかなり減っていくのも要因にあるのかもと思いました。
 そして,ある意味「青年団の主体≒自治体の職員」である図式自体は平成どころか昭和の時代に既に確立していたのは確かだと思うので,「青年団が自治体のイベントの下請け的役割ばかりさせられるようになって主体性を失っていく」ことで,その魅力を失っていくのもすごくよくわかるなあと思いました。
 
 しかし,そうして衰退をみせた青年団が何故復興していくか…このあたりが近年,いろいろな地域で祭の復興が行われたりしている時代性を反映しているのでは?という思いがあって読んでみると以下のような要因が存在するようです。

 また、平成20年代の復興期には、青年団の歴史を知り尽くす大崎氏らによって、夜学や婚活、防災、防犯、祭礼など従来の青年団が担っていた地域での役割をリニューアルさせた活動が数多く行われた。大学生という新しい主体が担い手に加わり、世代をこえて地域とつながる活動が展開されたことは大きな意義がある。Uターン者やIターン者が活動の活性化に果たした役割も大きい。

 「自治体の大規模イベントの下働き」的な活動から,真に自分たちや自分の地域に必要な活動を行うことによる主体性の回復や,大学生の取り込みなど「地域出身の青年」だけでない「地域の青年」のつかながりをつくったこと,そして地域に戻ってきてその後もその地域にいつづけることがおおいUターン者やIターン者を取り込んだ「青年+成年」化などが復興につながったのかなと思いました。
 また,よさこいの記事などが多くみられることより,これまでは「地域の青年同士の集団にとってのハレとして必要とされていた祭」が「祭によって地域の青年同士が集団になっていく」ようになっていったのかもしれないなあと思いました。
 
 まあでもこの論文を読んで青年団研究が無数にあることが痛感させられましたのでまたそうした基礎的な知識も増やしていきたいと思いました。

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