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20230213 バレンタインの教育的効果

 今日もCiNiiで祭文献探し…いつもなら1時間くらい探せば「これでNOTE書こう!」と思える論文にあたるのですが,今日に限っては2時間以上かけて200程度のタイトルみて5本ほど印刷してざっと読んでみてもNOTEに書けるネタが思いつきません…。

 こういう時は「自分の関心にぴったり沿ったもの以外を無価値と捨ててしまっている」状態で,せっかく良い内容のある論文を捨ててしまうことにつながると思うので今日はもう論文探しはやめて雑文でも書こうと思います。
 ということで明日に迫ったバレンタイン,祭ではありませんが年中行事ではあるので少し考えてみたいと思います。

 大人になってからのバレンタインは,この日にチョコ渡して告白するような文化のある会社があるとは思えませんので,「告白」の要素は存在しないと思います。義理チョコについては「職場でのコミュニケーションの一環」であり,義理チョコを渡すか渡さないかは「出張時にお土産買ってくるか」「飲み会が多いか」的な要因と関連があるだけで,恋愛的な要素は存在しないと思います。

 しかし,今はどうかわかりませんが自分が子どもだった頃のバレンタインは,特に小中くらいのころは実際に「告白」の機能があったような気がします。しかも,ただ「告白しても良い日」というよりかは,「相手がいないのならこの日くらいは告白しないと“恥ずかしい”」というような,恋愛や告白への「強制力」「同調圧力」が一番高まる時期だったのではと思います。

 自分の時代では高校,大学,二十代のころはバレンタインよりもクリスマスの方が「恋人といないといけない」という恥感覚による恋愛推奨がなされていましたが,小学生や中学生だとまだ家族でクリスマスを過ごすことも多いので,恋愛圧力はやはりバレンタインの時期が一番だったような気がします。

 アメリカなどでは「プロム」が恋愛を学ぶための機会になっていると聞きますが,そういう意味では日本の場合はバレンタインが一番の恋愛を学ぶ機会になっているような気がします。そしてそう考えると,日本の場合「女性からの告白」の学習の機会は小さい頃に提供されているのに対して,「男性からの告白」を学ぶ機会というのはないのだなあと。ホワイトデイがそれにあたるといえばそうですが,ホワイトデイの場合「バレンタインデイにもらったお返し」要素が大きく,もらっていない人に告白する要素は薄い記憶があります。

 少子高齢化の問題はやはり結婚率の低下が大きな原因だと思いますので,バレンタインなどを活用して小さなころから恋愛を学ぶ機会を増やせばよいのでは…と書いて終わろうとしたのですが…。よく考えたら,私の様なモテない男にとってのバレンタインって「モテる男はいっぱいチョコもらえるのに自分はゼロ!」という「モテ非モテが数量化される」日で,ある意味一年で一番恋愛に関して傷つく日でもあったのだよなあと。

 まあでも,今の時流にそうと,おそらく近いうちに「バレンタインは女の子だけじゃなくて男の子も告白しても良い日」となっていくと思いますので,そうなると点数つけられるのは男の子だけではなくなるから,みじめさは緩和されるかも…と期待しております。

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