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20230505 あっちこっちどんたく

 元福岡人としては「GWにはどんたく!」というイメージがありますが,全国津々浦々GWに開催されるお祭があると思います。
 先日この祭心理学NOTEでGWに生まれた祭としてさいたまの竜神まつりについて書かせていただきました。

 おそらくですがGWに開催される祭で最近できたものは「GWに何かイベントやお祭りが欲しい」という市民の欲求が先にあり,それを元につくられた祭が多いと思います。
 そのような流れで,私は「どんたくもGWのために作られた祭」「どんたくに伝統を付与するために正月に行われていた博多松ばやしの日程をずらした。」と思っていました。
 しかし,事情はそんな単純なものではなかったようで,正月に行われていた博多松囃子を起源とするとされているどんたくがどのように今の日程におちついたのかについて自分は全然知らなかったのでまとめてみることにしました。
 
 んが!結構難しいです。旧来マスコミとは違う方法で新たな博多祇園山笠の報道の仕方を確立された山笠ナビさんによるざっくりした説明に,これまた豊富な情報と理知的なアプローチでいろんな博多の歴史を紹介されることで著名な益田啓一郎がちょっと違うんじゃないとつっこんでいたりして,確かに「松ばやし」と「通りもん」がどう一体化していったかのプロセスって正確には全然理解していなかったなあと。

https://twitter.com/mapfan7/status/1653474933102739457

  なので,まずは博多松囃子とどんたくの開催日の変遷をたどってみようと思ったのですが…予想以上に面倒くさい。・゜・(つД`)・゜・。でも今日はGW! GW中は結局全然まともな祭心理学NOTEの記事を書けなかったので今日くらいは頑張って書いてみます。
 
 まず,福岡市民の祭り振興会 1992 博多どんたく読本. 福岡市民の祭り振興会.の「どんたくの歴史 博多の心(江頭 光)」の章を元に「開催日」に絞ってまとめてみたいと思います。

〇松ばやしが正月に行われていた時代
 
 全国的には室町時代から記録有~徳川時代
 博多では天文六年(1537年)くらいから記述がみられる?(これのみ別資料)
 
〇イレギュラー(筑前領主・小早川隆景,名島城主について神屋宗湛が1595に記録)
 
 9月29日に「正月のように仕立てて」と書いてあるから,その頃から「正月に行われる」ものであったが,違う時期にも行われるものでもあった模様
 
〇『石城志』明和二年(1765年) 正月十五日
 
〇『西遊日記』寛政元年(1789年) 正月14日
 
〇『追懐松山遺事』 1月15日
 
〇松ばやし禁止令(明治五年) 
 
県当局による松ばやし,山笠の祭りの禁止
「天長節(天皇誕生日)の祝賀奨励」の抜け穴を利用して紀元節を12月21日に祝う祭として実施。その際に「博多松ばやし」を「博多どんたく」に名称変更。
 
〇明治28年 日清戦争のあと福岡城址にあった福岡歩兵24連隊で鎮魂祭が行われたのに合わせて11月21日,22日
 
〇明治39年 日露戦争のあと招魂祭が始まると3月10,11日
 
〇大正4年~昭和16年 戦局悪化のため中止されるまでは4月30日,5月1日
 
〇昭和21年 5月25日
 
〇昭和22年 5月12日から3日間
 
〇昭和24年 新憲法発布を祝って5月3日の記念日から二日間,その後5月5日の「子どもの日」まで3日間にしたこともあるが,27年以来2日間に定着
 
〇昭和37年 運営母体の福岡市民の祭り振興会の設置
 
 ここまでの流れをみると,まず確認できるのは「どんたく」はGWよりも昔よりすでに存在しており,「GWのためにつくられた祭ではまったくない」のが分かった気がしました。
 そして松ばやしの祝ぅたぁ!という言葉からわかるように「祝う」行為が行われる日に親和性が高く,そのため「正月」に行われる行為であったけどそれ以外の祝いがある日にもいろいろイレギュラーな日に開催されたのが分かりました。
 まあでも,そうした「祝いの親和性」ゆえに,祝いの日の多い現在のGWに必然的に吸い寄せられ,GW開催と強く結びついて現在の姿があるのかなあと思いました。
 
 と,ここまでまとめて安心していたら「どんたくと松ばやしが別々に開かれた日程」などが上述の本の別の章にみつかったので,それについてはまた別の項をたてて書きたいと思います。


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