見出し画像

20230209 GWに生まれた祭~さいたま竜神まつりに関する論文を読んで

 昨日のブログで,「盆と正月という長期休みの中間位で長期休みが欲しいからGWが出来たのでは?」ということを書き,また「人間の休みたい,楽しみたいリズムで生まれた祭」もあることを書いておりました。

 で,本日祭に関する論文を探していると,最初に見つかったのが「近年GWに開催されるようになった祭」についての論文。これはついているなあと。(まあ,こうして「みつけた論文が不思議と関連している」のって研究したての分野の時が多くて,研究しつくした分野だとそれがなくなるので,ある意味自分が祭についてまだ駆け出しなことが分かる事例ではありますが。)
 
松井真姫子 2019 見沼における寺社を結ぶ竜神行列 : 都市近郊の地域信仰と祭り. 東アジア文化研究, 4, 123 – 145.

 この論文は,毎年5月4日にさいたま市緑区にある氷川女體神社と国昌寺の間を練り歩く竜神行列を対象にしたものであり,地域に元になる進行や伝承などはあったようですが,市町村合併によるさいたま市への移行にあたらしく祭であることに特徴があると思います。
 
 祭が起こったきっかけに関する記述を以下に引用します。

・さいたま竜神まつり会2000年辰年に「竜神まつり会」が発足した。2001年に 3 市合併によるさいたま市が生まれるために、地域の融合と新しい市への期待をこめ、地域に語り継がれてきた竜の伝承を新しい姿に再現し、空を舞う竜として「昇天竜」を制作し、日本各地の竜祭りやイベントに参加し、地域交流を深めている。また海外のイベントではホノルルフェスティバル、上海万博等に参加し、さいたま市の国際交流の一翼も担っている。「昇天竜」は、低地であるため沼地として竜神伝説が多くのこされている見沼が、干拓により広大な沼が無くなり、そこに棲む竜神は沼を明け渡し天に昇ったという由来からきている。  ・竜神行列のきっかけさいたま竜神まつり会(29)は、イベントに参加する前に成功と安全祈願のため、氷川女體神社でお祓いを受けるという慣習があった。3 市合併にあたり、見沼という地域に語り継がれる竜の伝承と、干拓工事と見沼通船堀という江戸時代の土木工事の技術の高さなど地域に誇る文化と伝統があり、それを財産とすることに意義があるとした。そして、氷川女體神社の祇園磐船龍神祭と国昌寺の竜の伝承を関連させ、さいたま竜神まつり会のイベントとしたのが発端である。

 この文章からは,融合した新しい市にふさわしい新しい祭をつくることで地域交流を深めたいという「目的から生じた祭である」ことが読み取れると思います。そして地域の人に祭を「自分たちのものだ」「参加する価値のあるものだ」というアイデンティティ化,価値づけ,権威づけのために信仰や伝承を探り,その結晶として「龍神行列」が生み出されたのだと思います。
 
 この祭の面白い所として,

さいたま市におけるこの竜神まつりは、主催者によると2016年は約75名で、2017年は約200名と増加したが地元の見学者が多く、竜神行列が行われることに関しては知名度が低い。

という祭なのに,最初の引用にあったように「日本各地の竜祭りやイベントに参加し、地域交流を深めている。また海外のイベントではホノルルフェスティバル、上海万博等に参加し、さいたま市の国際交流の一翼も担っている。」とあり,全国や世界をまたに活躍されているのですよね。これは母体であるさいたま市が巨大であるからなのだろうなあと。

 そういう視点では都市祭礼に関してはその地域の人口や経済的規模などがいろいろ関連すると思いますので,博多祇園山笠をそうした視点で見たりもしたいなあと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?