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20230621 消えゆく子どもだけの祭

 先日,共同研究をしてくださっている先輩との共通の恩師に研究についてご指導いただける機会がありました。そこで祭に関する研究について少し報告させていただくと「昔は子どもだけで準備から本番までを担う祭があって,そうした祭の中で子どもが学ぶことを明らかにしたいですね。」というご意見をいただきました。
 これはもう最初に恩師からご指導をいただきはじめたころからずっと続いている研究テーマで,そうした子どもが主体で自主的に動く祭を探してフィールドワークしたい!とは先輩ともいっていていろいろ探していたのですが,一休さんの寅の屏風の話状態(?)になってしまっているのもまた確かでした。
 そんな中見つけた以下の論文!これは!と喜び勇んで目を通しました!
 
黒田一充 (2013). 子どもが籠る祭りのお仮屋. 関西大学博物館紀要, 19, 23 – 44.

 この論文は祭によくみられる「籠る」という現象に注目し,子どもがこもるために建てられるお仮屋に特に注目して全国から事例を採集したすごくありがたい論文でした。しかしやはりというかで「かつては子どもだけでしていた」けれどもいろんな理由で「現在は大人の手が入っている」ことが説明されているのがほとんどでした。
 そのため,以下に「なぜ子どもだけではできなくなったのか」について記述があったものを複数個所から引用したいと思います。
 

〇新居浜市大島のとうど送り
 とうどを実際につくるのは大人たちだが、材料集めなどは十三歳から十六歳の少年たちで構成された子ども組が中心となっていた。十三歳は水汲み(見習いの雑用)、十四歳は新入り(スス竹や注連縄、門松、幟を集める)、十五歳は大将とよばれて全体の企画や指揮をし、十六歳は喰い抜けとよばれる相談役に当たる役割だったという。
 現在五十歳代の方が中学生のころ(約三十年前)までは、とうどの中に空洞を掘って子どもたちが潜り込み、他の地区の子どもたちが火を付けに来るのを警戒して、夜通し籠ったという。そのため、今も内部は空洞になっており、大磯のサイトが一時間近く燃え続けるのに対し、大島の方は十分足らずで燃え尽きてしまう。

 こんな「他の地区の子どもたちが火を付けに来るのを警戒して」なんてギャングエイジ的な要素も含まれた祭が今もあれば恩師は喜び勇んで見に行かれて私たちもそれについていくと思うのですが今はそのような状況ではないようです。

〇五十猛のグロ
 グロが完成すると、村の人びとが集まってきて、持ち寄った餅や干し魚・スルメなどを囲炉裏の火で焼いて食べる。グロの火に当たって餅やスルメを食べると、一年間病気にならないといい、元気に育つように子どもたちの顔に墨を付ける。以前は子どもたちが夜も籠っていたが、火事でグロが焼けたことがあり、現在は深夜までに切り上げていったん帰宅し、翌日再び集まっている。そのため当番の世話役は、火の扱いには非常に気を使うという。調査時も強風のため、途中で打ち切りになって参加者たちは帰宅していた。

 やはりこのような事故的な物が起きるとその後子どもだけでとはできなくなりますよね。

〇河原沢のおひなげえ
  地元の昭和十八年(一九四三)生まれの男性の方の話によると、文化財に指定される前(県指定になった一九八八年か)までは、子どもたちだけで行事をしていた。石囲いは男女別々でいくつもあり、仲の良い友だち四、五名が集まって川原の石を並べてつくった。日影地区の子どもは現在の日向地区の対岸に、原地区はもっと上流の場所につくり、粥のほかに川の魚や沢蟹を捕って食べた。昭和四十年代から男女が一緒にやるようになったが、当初は男子がそれを嫌がっていた。そのころは、飾る人形も一体だけで、行事が終わると
 人形を川に流した。そのうちに中学生が抜け、代わりに父母同伴で幼稚園児が参加するようになった。

 男女一緒になって男子が嫌がっていたというのもどこかギャング集団的な性質を反映しているなあと。男女一緒になって健全な集団となり,男子にとって魅力がなくなってしまったので中学生の参加がなくなり,そこで大人が参加して幼稚園児も参加する超健全な行事になっていったのかなと。

〇乙父のおひながゆ
  かつての儀礼を昭和十八年生まれの男性に尋ねると、現在は少子化でこの川原に三基あるだけだが、昔は田平・乙父・神寄の各字の川原でいくつもつくられたという。石囲いは現在よりももっと高く、何日か前から子どもたちが男女別々に友だち同士で集まり、石を積んで高さを競ったという。人の背の高さぐらいあり、屋根の部分は茅などで覆い、この日は一晩子どもたちだけで過ごしたという。石囲いが高かったのと、屋根で覆われていたので、内部は結構暖かかったそうである。そのような子どもたちだけの行事だったが、文化財に指定され、保存会ができて大人が関与するようになると、危険だということで高さが低くなり、一晩泊まることもなくなったという。

 この「文化財指定」がきっかけで大人が関与し出してダメになったというのは他の箇所でも記載があってなんだか残念な動きがあったのだなあと。・゜・(つД`)・゜・。
 
 ちょっと今日は時間が無くてじっくり読めないままで更新するのを許してほしいですが,すごくじっくり丁寧に読むべき論文だと思うのでまた後日これについてはじっくり検討したいと思っています。

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