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20230103 担い手不足以外の祭の衰退要因

 祭の衰退要因としてよくあげられるのは,最近では「担い手不足」が最も多く,昔は「粗野・風俗の乱れ・危険性などによる禁止」などがあげられることが多いと思います。
 それ以外で最近思いついたのが「警備コストの負担増に耐えられなくなった」というのがあって,福岡市の大濠公園の花火大会などはこの理由だったと思います。
 しかし,そうした理由とは全然違う衰退要因について書いてある論文がこちらです。
 
浦山佳恵・須賀 丈・畑中健一郎・連 美綺 20202長野県における盆花採りの衰退と野の花の生育地の消失.長野県環境保全研究所研究報告, 16, 9 – 22.

 この論文で取り上げられていた独特の祭の衰退のプロセスとして「花の育成地が減少したため,盆に花を採集できなくなり行事が衰退した」というのがあると思います。昔鞍馬の火祭に使う木材の確保に関する研究論文があった記憶もあり,博多松囃子か山笠につかう松をいっぱい取り過ぎたので筥崎浜の松の採集が禁止されたという話を聞いた記憶が不確かながらありますが,これらが「祭に関連する行動で自然が変化した」方向性だとすると,本論文で示されているのは「自然環境の変化によって行事のあり方が変化した」方向性であって面白いなと。
 
 ただ,「花が取れなくなった。」という自然の変化自体は全国どこでもあると思いますし,現在では全国ほとんどの家庭で盆の花はお店で買うのではと思います。しかし,長野の「盆花採り」の場合,買ってきた花ではダメなのだというのが以下の箇所などで説明されていると思います。
 

 近代における長野県の盆行事は先祖の霊と親しく交流する機会であった.人々は山野でキキョウやオミナエシ等の盆花を採取する盆花採りによって先祖の霊が迎えられると信じていた.盆花は先祖の霊の依り代と信じられ,先祖の霊を祭るために盆棚に飾られたり,先祖の霊を送るために川に流されたりするなど,盆花は盆行事において重要な役割を果たしていた。

 かつての長野県の盆行事は,里山を介して先祖と親しく交流する機会であり,盆花は先祖の霊の依り代として重要な役割を担っていた。このことは,野の花の生育地の消失は,単に盆棚に飾る花がなくなったことにとどまらない影響を盆行事に与えたことを示唆している. 

 おそらく一般の盆の花は「ご先祖様に備える」ための花だと思います。しかし,この論文を読むと長野の盆の花は,「自然の中にご先祖様が戻ってこられて咲いている。」ものであり,それを自宅に来てもらう,という感覚があるのではないかと思います。そのため,「買ってきた花を盆棚に飾る」ではだめということになるのではないかと思います。
 
 これを書いている時ちょうどかかった,さだまさしの「Only ~薔薇園~」では薔薇に死別した恋人が想定されているし,「春女苑」もそうだよな~などと思い浮かばれるし,教養がないので具体例をだせませんがおそらく万葉集のころより花になくなった方を思い浮かべる歌はあると思いますが,そうした心理が長野の盆花採りにはあったのではないかなあと思います。

 ちなみに私は櫛田神社で初夏から初冬まで咲き続けてくれるキキョウの花をみつづけたので,キキョウをみると博多祇園山笠を思い出します。山笠への想いの依り代として今年からキキョウを育ててみようかな~。

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