20230302 祭と「映え」とカメラマン
先週末に引き続き今週末も出張で土日出勤できないので,今日くらい論文読んでおかないとしばらく論文を元にNOTE書けない…ということで論文を探しているとみつかったのがこちらの論文です。
酒井貴広 2017 地域住民とメディアの相互作用を基盤とする祭りの創造に関する研究 -栃木市都賀町家中の「強卵式」を事例として-. 早稲田大学大学院文学研究科紀要, 62, 549 – 566.
私はかつて新興住宅地などでみられた「新しくできたコミュニティでその結束を高めるために祭を生み出していく」ことに興味があってタイトルの「祭りの創造」の文字にひかれて目を通したのですが,内容は全く別の種類の祭りの創造についてであり,「そうした視点は確かにあるし,今の祭りの創造はこっちの方が大きいかも!」と思うようになりました。
私が知らなかっただけかもしれませんが一般的に「強卵式」をご存知で無い人の方が多そうなのでその内容を説明した部分を引用させていただきます。
読むだけで物語性があり写真やビデオに撮ってネットにあげたくなるような「映え」の要素があるのが分かります。
そうした「映え」が実現した理由として,大きくは以下の2点があげられると思います。
(1)祭を創設した鷺宮神社の宮司さん自体の意向の存在
「(平成13年1月に亡くなった)父の供養に祭りを賑やかにやりたいと思った。」,「強卵式は、基本的には「地域のみんな」が楽しむもの。山車の裏でやっている酒盛りがメイン。「平成に始まった伝統」として、200年くらい続いて欲しい。」などと,映えと楽しさがそもそもの目的とされている。
(2)イベントコンサルタントの存在
「強卵部分だけだと動きがないので、清めと称して酒を飲ませることにした。」,「一度年配の男性ばかりでやった時は、観衆に「おじちゃんばっかりでつまらない」と言われた。」「御神酒の儀は卵食禁忌の周知とは異なる思惑──人を集め楽しませるという、イベントコンサルタントの提案した思惑──を基盤に成立しているのだが、五感に訴えかけるエンターテインメントと化すことで、「見物人」であるはずの観客を能動的・主体的な「参加者」に転化させるという特異な機能を発現させている。」などの記述などより,観客への「映え」をさまざまな仕掛けでめざしているのが分かると思います。
その後,論文ではメディアでの「奇祭」としての取り上げられと祭の相互作用などについても検討されていくのですがそちらは論文を読んでもらうとして,ここでは,「祭りでの映えの位置づけの変化の可能性について少し考えてみたいと思います。
調べてみると「インスタ映え」という言葉は2017年の流行語大賞のようで,この論文が出版された年と一致しています。この言葉自体は最近あまり効かなくなった気がしますがSNSにあげるための「映え」を求める動機づけは今でも高いままだと思われます。
太古の昔より祭は「映え」を重視していたと思われますし,観客は祭に「映え」を体験しに行っていたと思うのですが,それは単なる観客であり「受け取る」だけだったと思われます。
しかし近年では「いかに映えを撮影するか」「人よりすごい映えを写せるか」のような祭のなかでの「映え選手権」「最高の映えを得る競争」のようなものがある気がして,ある意味祭の参加者以上に観客の中で「映え確保競争」が起きてきている気がして,これは結構最近のことなのではと思っています。
昔からカメラが趣味な人はそのような「競争意識」はあったと思うのですが,それが万民化して皆が「映え」を意識してばかりで祭をみるようになったから,それに対応する形で「映え」を進化させていく祭もあり,その代表としてこのお祭りを考えられるのではないかなあと思ったりしました。
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