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20240409 ドラえもんの危険性

 ガストの給仕用猫ロボットが人気みたいですね。
 で、調べるためにガストのHPみたら、今はもう「320gハンバーグ」「和風サラダうどん」もメニューになく、「山盛りポテトフライ」も全然山盛りじゃないようですね。学生時代に夜中にガスト行ってドリンクバーと山盛りポテトフライだけ頼んでみなで話し込んで帰る前に320gハンバーグ食べて〆ていたあのころはもう再現できないのか~価格も妙に高くなっているようですし。
 って今回の話に関係のないガストの思い出が足りになってしまったので本筋に戻すと、ガストの猫ロボットをみているとドラえもん的なロボットは結構近い未来に実現するのではないかな~と思えてきました。
 ドラえもんで全然実現できそうにないのは四次元ポケットから出てくる「ひみつ道具」であって、子どもの友だちになってくれるロボットというのは10年以内にかなり本格的なものができるのではと思います。ドラえもんというよりかは「実際に話してくれて遊んでくれるテディベア」「想像上の仲間の代わりとしてのロボット」という感じでしょうか。
 想像上の仲間については山岸明子先生が以下の論文にまとめられていて、私がぱっと思いつく例は西原理恵子先生の『いけちゃんとぼく』のいけちゃんですが、そのほか『思い出のマーニー』やら『海辺のカフカ』などの有名作にも出ているようです。

【書誌情報】
山岸明子 2017 子どもにとって「想像上の仲間」がもつ発達心理学的意義 : 6つの文学作品をめぐって. 順天堂保健看護研究, 5, 41 – 52.

 こんな感じで、友だちがいない子どもが、想像上の仲間ではなくロボットではあれ自我があり一緒に遊んでくれる相手がいると社会性の発達には役に立ちそう…と思うのですが、それは非常に閉じたある意味鳥かごの中でのみ生きた鳥のような感じになるのではとふと思いました。
 ドラえもんの場合、のび太はドラえもんとだけ遊ぶこともありますが、基本的にはドラえもんと一緒にジャイアンやスネ夫やしずかちゃんと遊ぶのがメインになっています。のび太だけでは馬鹿にされて相手にされない状態であったのが、ドラえもんがいることで仕返しができたり一緒に冒険ができたりするという意味で、ドラえもんはのび太の社会性の発達に大きな意義を果たしていると考えられます。
 しかし今の技術の延長でドラえもん的ネコ型ロボットを作っても、「恩物」とか出してきて優れた遊びを導いてくれたり、本を一緒に読んで感想を言い合ったりなどの「よい遊び」を一緒にしてくれるだけなのだろうなと。喧嘩したりだましたりするようなことはプログラムされて起きるかもしれないけれども自我的なものは感じられず、またネコ型ロボットを通じて他の仲間と一緒に遊ぶという機能はなかなか実現できないのだろうなあと思います。
 まあ今のChatGPTなどをみているとかなりAIにパーソナリティ的なものを持たせることは可能に思えていて、子どもと対等な友だちとして受け答えさせたりちょっと先輩として指導させたり、ドジっ子として面倒をみさせたりするような対応をさせることは結構できるとは思います。しかし、ポリコレに反する発言などは全くできなかったりすることで、「きれいでただしい」ものしか発言できないようにされてもいると思うので、なんというか自然な社会性は育たず、それこそ人工培養的な社会性を身につけることになってしまうのだろうなあと。
 育児漫画などで「う〇こ」「し〇こ」「ち〇こ」などの言葉をやはり子どもが覚えてしまいそれをものすごく好むということをよく目にしますが、生成系AIにそれを言わせるようにするにはそれこそ小児科医や発達心理学者がかなり強く圧力をかけないと実現できないような気がしますし、「う〇こ」「し〇こ」「ち〇こ」をどう実装するかについては喧々諤々あってまとまらないだろうなあと思います。
 結構長々と書いてしまってタイトルを見直すと「ドラえもんの危険性」って書いてありますが、どっちかというと「ちゃんと危険性もあるドラえもんを作り出すことの難しさ」が今後課題になっていくだろうなあと思っています。

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