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20230218 日本の祭と中国の祭の違い

 師匠より授けられた「子どもが主体となる祭」に関しては,師匠が主催されている研究会でも何度も話題に上がっています。研究会には中国と韓国から留学してきた後輩もいるのでその二人に「中国や韓国でそういうお祭はないのですか?」と聞いてみたことがありました。そしてその答えはどちらも「(子ども主体とか関係なく)日本的な祭というのは中国や韓国にはないよ。」というものでした。
 自分も日本の能や歌舞伎のことは全く知らず,相撲なども全く知らないので「中国や韓国に生まれ育っても中国や韓国の祭のことを知らないから“ない”と答えたのだろうなあ。」とその場では思っておりました。
 で,本日論文探しをしていて農村祭祀の日中比較をしている論文があったので読んでみました。
 
田仲一成 2018 神と人間の関係から見た農村祭祀構造の日中比較論. 日本學士院紀要, 72(3), 49 – 76.

 論文を読んだ結論から言うと,後輩の言っていたことは正しく,日本と中国の農村祭祀にはあまり共通点がないため,「日本的な祭があるか?」の答えは「ない。」なのだと思います。
 以下,論文より具体的な違いを引用していきます。
 
1.日本と中国の農村祭祀が異なる理由
 

 日本と中国は、日本が漢字文化を中国から受容したことによって、上層階級における文化的教養の面では、多くの共通点が存在することになった。しかし、両国の間で、農民の間に現実の交流があったわけではなく、農民のレベルでの文化の共通性はほとんど認められない。この点は、早く津田左右吉博士が指摘したところである。もとより、中国の農民も上層文化の影響を受けており、また日本の農民も上層文化の影響を受けているから、農民の間で直接の交流がなくても、間接に両国の農民の間に漢字文化からの影響が共有され、結果的に共通点が現わるということも理論的には起こり得るが、実際には、そのような場面は、極めて少ない。日本の農民は、近畿地方の一部を除いて、公家文化(漢字文化)の影響を受けておらず、武家文化の影響を受けている場面が圧倒的に多いからである。 私は、一九七八年以来、香港、台湾、中国大陸の農村祭祀を調査してきたが、そこにおける祭祀の構造は、まったく日本と異なる。

 これはもう引用を要約するまでもなく明確に書かれていますね。公家文化では中国との共通点があっても武家文化は異なるからというのはなるほどなと思いました。
 
2.日本と中国の農村祭祀の具体的な違い ~人名表読み上げより
 
 これはまず図での説明が分かりやすいので図を引用させていただきます。
 

 中国の場合神々と各家族が直接的に結びついているのに対し,日本の場合は村落共同体を媒介するというのも違いが分かりやすいなと思いました。
 
3.祭祀の目的

日本の場合、農村祭祀の目的は、農作物の豊饒を得ることにある。祈りの対象は、田の神、田土の神であり、式三番の三番叟のような、農夫の面影の濃い神の姿がイメージされてきた。これに対して、中国の農村の場合、農村祭祀の目的は、必ずしも田土の豊饒に尽きるものではない。中国では、職業は世襲ではないから、農村には、農民の外に、商人や工匠、読書人(儒者)など、雑多な職種に従事する人々がおり、それらの人たちに共通する祭祀目的として「丁財両進」(男性子孫と財富の双方が入手できること)ということが強調された。

 これは私の感想ですが,中国の祭が「ご利益」をダイレクトに祈るのに対し,日本の祭の場合は,その農村の地の神様に祈り,その祈りが農作物の豊饒などで返ってくるという感じで「地の神様」という媒介があるのが特徴であり,それが日本の祭を祭たらしめているのではと思いました。
 
4.祭祀の主体

中国の農村祭祀では、個人の家が直接、神殿に供物を持ち込み、儀礼が終わると家に持ち帰る。例えば、次の図の如くである。これらの夥しい供物が村全体ではなく、個々の家族によって献上され、儀礼が終われば家に持ち帰られるという点にも、祭祀奉献の主体が村全体ではなく、個々の家族であり、家族は、神々と直接の関係を結んでいることがわかる。

5.祭祀における役務のあり方

 日本の農村祭祀では、神事を担当する禰宜、神事芸能を担当する芸能者など、すべて世襲であり、その職能は、家ごとに決まっていて、子々孫々、継承されてゆく。上鴨川の翁芸、宇治田原町の宮座芸、西浦の田楽、庄内の黒川能、田峯の地狂言、宮崎の高千穂神楽、椎葉神楽、銀鏡神楽、国東半島の修正鬼会など、いずれの神事も芸能も農民自ら、世襲の役務として、平素から家庭内で技芸の鍛錬を積み、祭祀の当日は、斎戒沐浴して神前に奉仕している。全国を見渡しても、演劇の奉納にあたって、職業劇団を雇う例は多くはない。それを「芝居を買う」といって嫌うのである。あくまで農民自らが神に奉仕するのを本則とする意識が強く働いていると言える。 それに対して、上述の中国(香港)祭祀においては、農民はまったく神事の役務に服さず、専門職の道士団を雇っているほか、神事や芸能、演劇についても、自ら演じることはなく、専門劇団を雇っている。役務の代わりに、人を雇うための費用を物納または銀納の形で負担し、実際の役務は、専門家に委託する請負制(包頭制度)を取っているのである。

 この,日本では「農民自体が」という姿勢があるのに対し,中国では専門職を雇うという違いもそうなのだろうなあと納得しました。
 
 こんな感じで日本と中国の祭の違いをみると,中国の祭はどちらかというと「正月の初詣」的なもので,賽銭と共に個々人がご利益を直接神様に祈り,縁起物を購入し,境内にいる獅子舞などに噛んでもらったりするものに相当するのではと思いました。
 
 しかし,中国などでは日本の祭的な物がないとしたら…広い世界で日本の祭に一番近い祭はどこの何になるのかなあと。この手の国際的な視点が全然ないのが困りものですがゆっくりと関心は持ち続けたいと思います。

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