見出し画像

20230611 中島みゆきと祭

 今日、祭心理学に関するNOTEを書こうとして中島みゆきの歌を引用したくなりました。それについては後に書きますが、まず「中島みゆきと祭」といって何か思い浮かぶかを考えてみたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 『まつりばやし』くらいしか思いつきませんね…。

 しかしこの曲は中島みゆきが父の突然の死に際に直面したときに外ではそれと関係なくハレの祭が行われていてその音が聞こえてきたという出来事からつくられた歌らしく、もの悲しいレベルで収まっている曲調よりもっとずっと悲しい歌なのだなあと今知りました。

 あとは、世界音楽祭で『時代』をうたったことくらいですかね…Entry No 30. Japan. Composed and song by Miyuki Nakajima. The title of the song Time Goes Around~!
 さだまさしだと『精霊流し』『遠い祭』とかがぱっと思いつきますし、『月蝕』などは曲調も「祭!」って感じですが、こんな曲調で祭について中島みゆきが歌うことはないだろうなあと。

 そういう意味ではかなり「祭」とは遠い存在に思える中島みゆきのどの曲から祭のイメージを得たかというと『異国』という歌です。

https://www.uta-net.com/song/53881/

  中島みゆきにとっては、そのような帰る場所がないことを歌うことがメインテーマなのだと思いますが、それゆえそこには祭やそれを成立させる故郷というものがある意味如実に記述されていると思います。

 歌詞の中に直接的に祭について記述した部分もあり、それは旅を誘うものとされています。この記述がどういう意味なのかはいまいちわかりませんが、祭という「故郷の行事」があるからこそそれが安全基地となって故郷から旅することができるようなことを歌っているのかなあとも思ったりします。
 また、玄関先などに「帰ってくるための余白がある」ようなことも歌われており、これなども祭などで帰ってきた際に「役割」「居場所」「所属感」などがあることを歌っているように思えます。

 この『異国』という歌は『生きていてもいいですか』というアルバムに収録されていおり、『船を出すのなら九月』『エレーン』と重苦しい曲が続いて、『エレーン』でアルバムタイトルである『生きていてもいいですか』という問が提示されたうえで最後に呈示されるすごい役割を果たす曲なのですよねえと。
 ここで「くに」「ふるさと」という要素が出てくるのは、日本に来て惨殺されたエレーンという方の存在が大きいのでしょうが、「くに」「ふるさと」という要素の例として祭という用語がでてきているのは意外だなあと思いました。そして(私が知らないだけでしょうが)その後あまり祭に関して歌った歌がないことを考えると、中島みゆきの中での祭というイメージはどのようなもので、年齢を経る中で変化するものがあったのかなど考えてみたいなあと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?