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「ドクター・ドリトル2」を観た。映画にメッセージ性なんていらないと思った。

4月28日(火曜日)の深夜に「ドクター・ドリトル2」がフジテレビで放映されていました。

これを書いているのも早朝の4時なので相当に深い時間にやってたなと思います。心なしか窓の外も白んでいます。

そんなんわけで、つい翌日の今日が休みなのでしっかり観てしまいました。

頭が空っぽの状態でボーッと観ていたのですが、そんな私の頭以上に映画の登場人物たちは何も考えてなかったのが印象的なので感想をまとめておこうと筆を取った次第です。

ちなみに最初に申し上げておくと、普通に楽しめました!

悪評を広めようという意図もございませんので、ご覧になった方は「ああ、こんな話だったなこれ」くらいに見ていただけますと幸いです。

主人公のドリトル先生、立ち回りがあんまり頭良くない。

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正直私はこの映画の1作目を観たことがないので、この主人公のドリトル先生がどんな経緯で動物の言葉が分かるようになったのかは分かりません。

ただ、ドリトル先生は2作目を見る限りだとあまり上手に立ち回ることができない方というのはよく分かります。

実際、このドリトル先生が劇中で非常に大きな貢献を果たしたとは言えないです。はっきり言って見せ場が全くないので、カタルシスは全くないですね。

1作目で会得したであろう「動物と会話できるスキル」も終盤で娘にも備わってしまいますし、中々な毒親の一面もあるので、私個人としてはあまり好きになれないキャラクターでした。

最終的な問題解決は動物に全てお任せで、結局彼が一番大きな功績をあげたのは森林開発業者に対して立ち向かおうと1ヶ月の猶予を得たところのみでしょう。

まぁ、その実際も弁護士でもある妻のリサのおかげによるところが大きいのですが・・・

娘のシャリース、動物的なよく分からない動きをする。

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今作は思春期真っ只中の16歳になる娘シャリースと、父であるドリトル先生との関係がしっかり描かれました。

最初は父を煙たがるシャリースでしたが、終盤になったら何故かいきなり「動物の言葉」が分かるにようになっており(一応伏線はあります)、それをきっかけに親子仲が改善されます。

思春期の女の子が嫌がりそうな地雷をどんどん踏んでいくドリトル先生に対して辟易している様子もありながら、それでも心からは嫌ってない様子も見せるのは可愛いと思いました。

ただ、思春期の多感な時期というのをアピールするためなのかいささか情緒不安定というか、脈略のない行動に出たりカットが変わる毎に感情が変わっていたのでその点はキャラクター評価が分かれるところかもしれませんね。

ちなみにシャリース以上にドリトル先生の行動は謎で、非合理的かつ感情の押し付けも多かったので本当の思春期にいたのはドリトル先生の方かもしれません。

動物たちが賢い。ちなみにクマのアーチーも思春期。

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基本動物たちは賢く、現実の人間のように描かれています。

ただ主要キャラクターであるクマのアーチーは、ドリトル先生超えはなかったものの娘のシャリース並みに感情がコロコロ変わって、それに伴い行動も変化するという印象が引っかかりましたね。

今作では「思春期」の描き方はカット毎に感情や意見を変えるといった方針でも取られていたのでしょうか?

アーチーを取り巻くストーリー自体は、ヒョロガリボーイが強くなって、ガサツなジャイアン的ポジションを負かしてガールフレンドをゲットするというベタなものでしたが、小さい子にはこれ以上ないくらい分かりやすいものになっていると思います。

洞穴で交尾を始めることをほのめかすシーン(えらく人間的)は子供に見せていいのかとも思いましたが、個人的には官能的に映ったのでプラス評価です。

まとめ:映画にメッセージ性なんていらない

冒頭でも書きましたが、私は結構この映画好きです。

なぜならメッセージ性やなんやを考えたり、主人公や世界観に没入することなく見れるからです。

ラストの森林開発業者とバトルに臨むシーンなどは、ドリトル先生いりません。

最初からドリトル先生に頼まずに、全世界で動物ストライキを起こせばよかったわけです。

しかしその辺りはいわゆるご都合要素なので目を瞑ります。それらのご都合要素を全て勘定に入れて、よかったなと思うのです。

暇が極まった大人はちょっと観てみても面白いかもしれませんね。



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