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大人の私はいくつも世界を持っている

iPad Proを購入した。Apple Pencilも買った。タッチペンを使うのは初めてだったので、もの珍しさもあり、普段は描くことはないイラストを描いてみよう思い立った。最近、髪を40センチ近くばっさり切ったばかりだったので、その記念に「長い髪の女の子(自分のつもりだ)が髪を切って短くなりました」なイラストを描こうとした。

最初に描き出したものは、描いている途中で恥ずかしくなって消してしまった。画面が滑って、思ったように線が引けない。描いて消してを何回か繰り返すうち、なんとなく感覚がつかめた。正直、上手くはない。久々に描いたイラストで、初めて使うタッチペンでなら、こんなものだろうという代物だ。とはいえ、ちょっとした新しいチャレンジに満足感と達成感を覚えた。その時、タイミングよく夫が帰宅した。

「おかえりなさい!ねえねえ、みてみて。イラスト描いてみたの」

おもむろにタブレットを見せた。

夫は基本、私を褒める。新しい服を買ったら「すごい似合う!ぴったり!」と言ってくれ、メイクアップ後の姿を見て「今日も可愛い!」と言ってくれる。褒めてくれるのはいいが、こちらとて100パーセント真に受けてはいない。自分を客観視はできている。とはいえ、褒められて悪い気はしない。「褒め」も方便。夫婦仲を円滑にするのに良いツールだと思っている。私は私で「仕事用の本買ったの!勉強熱心ですごい!」「そのTシャツの色、爽やかで夏っぽくていい!」と褒める。プラスの言霊を発し、空間を満たして平穏を保つ。呪いの言葉よりも祝福の言葉を、だ。

よって、今回のイラストも「初めてにしては可愛いの描いたね!」ぐらいの反応がくるのではないかと予想していた。だが、

「えっ……これは『画伯』やな。小学生よりひどい、ふふ」

声こそいつもの優しい夫。けれども内容は優しくない。たまにバラエティ番組で、絵が下手なタレントさんを『画伯』と呼んでいじるシーンを見かけるが、私のイラストもそれだと評したのである。自分でも上手いとは思っていなかったが、小学生よりひどいなどとの言いようは・・・予想外の評価である。

「確かに上手くはないけどさ……そんなに下手って言わなくても」

「絵は得意やからな。もっと細かい絵も書いているからな」

やけに自信にあふれた声だ。

「いやいや、タッチペン買ったばかりだよ。なんなら使ってみる?」

「別にいい。鉛筆でもっと細かい絵が描けるから」

夫は手先が非常に器用だ。夫の描いた絵は見たことがないが、機械工学科を出ているのだから、図面引きや筐体の製図などお手の物だと想像する。また、お父様は一級建築士で実家には見事なパース図があった。姪っ子が夏休みに書いた絵で知事賞を取ったと聞いたこともある。間違いなく、絵が上手い血を受け継いでいる。夫の作品こそは見たことはなくても、上手いのは想像に難くなかった。きっとデッサンに狂いがない精密な絵が描けるのだろう。夫の画力をもって、私のイラストは甚だ稚拙だったのだ。思わず褒めることを忘れて本音が出た。そういうことなのだろう。そして、悪気は一切ないのだ。

私は拗ねた。上手ではないが、「初めて描いた」の言い訳付きでなら、見せられるレベルだと思っていたのに。一気に気持ちが沈んだ。そんな私の様子を見て、漸く何かフォローの言葉を掛けてくれたが、時すでに遅し。耳に入っても脳みそには響かない。

翌日、私はまだ夫の言葉を引きずっていた。普段であれば寝て起きたらケロリと機嫌が直る性格なのに。

(いつものように、適当に褒めてくれれば良かったのに)

もし褒めてくれて前向きな気持ちになれてたら、その調子で描き続けたら、100日後には本物の『画伯』になれるかもしれないのに。もし自分の子どもがいて、同じことを言ったとしたら、昨日のように貶すのだろうか。そんな事をしたら、自己肯定感が低くなるのではないか。最悪だ。言葉ひとつで、才能の芽を摘んでしまうかもしれない。

そこまで考え、はたと思いとどまった。確かに、子どもに同じ態度を取ったらよくないだろう。子どもの世界は小さい。その中で親の影響は大きい。しかしながら、私はいい大人である。夫とはいえ、他人に何か言われて、それに昨夜からとらわれているなんて。大人の私の世界は広い。家庭以外にもある。職場、友人、習い事の仲間。SNSだってそうだ。別に夫に褒めてもらえなくてもいい。絵の話が夫と合わないならば、そこで話題を終了して、他で楽しくお喋りに花を咲かせればいい。

(ええと、新しいことへのチャレンジに寛容なのは・・・)

脳裏に何人かの友人の顔が浮かんだ。上手い・下手の世界線ではなく、新しいことへ挑むのを尊いとする人たち。

正直に言えば、口先だけでも夫に肯定してもらいたかった。けれども、相手の思考や心を変えるのは無理だ。とはいえ、肯定してもらえなかったからといって、それにとらわれる必要はない。大人の私は、話のわかる世界へ行こう。

ようやくご機嫌が直った私は、新作に挑むべく、再びタッチペンを握った。

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