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美味しいご飯は正義

白米は空腹の時だと美味しいと感じるけれど、白米以外はいついかなる時でも美味しいと感じるのは何故だろう。
某日カフェご飯をしようとメニューを吟味した私は「ラタトゥイユって何だっけ?まあいいや、とりあえず食べよう美味しそうだし」というありきたりなきっかけで、冒頭の疑問へと辿り着いた訳です。別に大したことでもない。

スープ系を想像してたけど違った。

どんな食べ物なのか知らないままなのも良くない気がしたので、ついでに調べてみましたよ。

ラタトゥイユラタトゥユラタトゥーユ: ratatouille)とは、フランス南部プロヴァンス地方、ニース郷土料理夏野菜煮込みである。

Wikipediaより引用

フランス料理なんですね、ラタトゥイユ。(多分次の日には忘れる)

私の鳥頭についてはさておき。
冒頭の疑問への自分なりのアンサーとしては、恐らくは慣れがあるかどうか。白米は日本食の代名詞で日常的に食べているもの。対して白米以外(今回の場合は雑穀米?)はたまにしか食べないという特別感が相乗効果を生んでいるのではないか。
思えば体に優しいであろう定食はだいたい五穀米や雑穀米などの白米以外が定番な事が多い。一口食べた時あまりの感動に「これから家でも雑穀米を炊こうか」と浮かびましたが、続かないのが目に見えて分かるのできっとやりません。仮に我が家の米は白米ではないんだと少し鼻高な気持ちになれたとしても「美味しい!」という感動が無くなってしまうのは寂しい。

悲しい事つらい事が原因で食事が喉を通らない、食べても味がしない。
そんな経験は私はまだないですが(経験非推奨でしょうけども)、真面目な話、生命維持活動に必要な行為を拒絶するというのはよっぽどの緊急事態だと容易に想像出来ます。

美味しいご飯を食べれば元気が出る。
とよく言う。事実は事実ですが、私はその逆だと思う。元気がある時に食べるから美味しいと感じるのだ。

人員不足パワハラセクハラ等々が揃い踏みの色で表すなら黒い環境下で働いていた当時、食事が作業化しストレスで身体がバグったせいで食べてもすぐ戻すという軽い吐き癖がついた事がある。コーヒーとか焼きたてパンとかの美味しそうな匂いほど気持ち悪くなった。色気より食い気な私がだ。しかし職場のトイレで戻したら即バレするし掃除するのも自分だしと文句を言われる事が増えるのを避けようと忙しさを楯にして食事を取らない事も多かった。もはや口に物を入れる事自体がストレスになっていたし食事回数が減って胃が小さくなったのか食べなくても平気だったのだ当時は。なのに飲み会には強制参加…どう考えても頭が可笑しかった。
(黒い職場とは無事さよならをして現在はきちんと回復しております)

要らん所まで話し過ぎた。えーーーっと。
で、その後暫く経ってから外出先で食べたカレーがとても美味しかったのだけれど、素直に美味しいと感じた事に何故か引っ掛かりを覚えた私。

「美味しいって思ってご飯食べたのいつぶりだ……?」

え?そんな事ある??恐ろしい事に実話です。もう何か…軽く思考が停止したのち、身を持って実感しました。

どれだけ忙しくてもどれだけ悲しくても
食事を抜くのは絶対に駄目です。本当に駄目です。(大事なことなので2回)

どんな時であっても空気を読まず人間の腹は減ります。そして人間は何をするにもエネルギーが必要で、そのエネルギーを補給するのが食事なのです。どうしても無理そうならゼリー飲料とかでもいいので何かしら腹に入れましょうね。(何の講座だこれw?)
お腹の音で訴える空腹以外でも、やっぱり体から発せられる何らかの信号を無視しては駄目なのです。痛いとか痒いとか諸々の症状が出たのに放置するのは良くないです…と、書きながら自分にも言い聞かせている。


ーーーといった感じでしんどい経験をしてきたおかげで、心の底から「美味しい」って感じた時って何かもう、泣きそうになっちゃうんですよね。美味しいご飯が作れる人って凄い。食事は一番身近で何度でも感動を味わえるコンテンツだなと思う。

だからやっぱり。
美味しいご飯は正義だ。