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自己満足でいこう

“自己満足” と聞いて、何となくネガティブなイメージが浮かんだり自虐的な意味として考える人が私以外にも居るのではないでしょうか。

では一体、自己満足とはどういうことなのか。

自己満足(じこまんぞく)とは心理学用語の一つ。これは人間が行動を行った場合に、その行った行動に対して自分自身が満足をするようなもののことを言う。ここで自分自身が満足しているのは、客観的評価に関係なくされているということである。人間が行為を行う場合に、それが自己満足に終わらないように注意を促されている場合がある。

こちらはWikipediaの説明文。
個人的感想ですが、何だか戒めを表す言葉のような印象を受けます。この文章からだと、『他者からの評価がない状態は良しとしない』という風にも読める。

じこ‐まんぞく【自己満足】  
〘名〙 自分自身に、または自分の行為に、自分で満足すること。

ちなみにWeb版広辞苑ではこのように載っていました。シンプルに言葉の意味だけです。(本家の紙の方だともっと詳しく書いてあるかもしれませんが)この説明だとネガティブはイメージは連想しずらいような気がする。

こうして比較すると、同じ言葉なのにわりと似て非なる説明で面白いですね。これを踏まえて自分なりに緩い仮説を立ててみたのですが、
仕事や人間関係の場合は『自己だけが満足することは良くない』が、自分だけの趣味の場合は『自己満足させることが出来れば良し』という事ではないだろうか?まあ、趣味を誰かと共有する時はまた変わってきそうですけどね。

えーそもそも今回何故この内容で書こうかと思ったかというと。

2022年という新年を迎えて数ヶ月が経っても、私は今年の抱負を決められずにいました。というより元々苦手なのです、目標決め。ここ数年まともな抱負を決められた試しがない。
けれど2021年…特に下半期に悪い事がこれでもかと重なり、自分史上最悪な1年だったとすら思った。だから1年を振り返った年の瀬に漠然と「どんなに下らない事でも何でもいいから今年出来なかった事を1つでも多く来年はやろう」と心に決めたのでした。回想終わり。

そして必ずやろうと決めたうちの1つが、資格の勉強を始める事です。

目的は自己肯定感を高める為。つまりは自分に自信を持ちたいと思ったからです。
このコロナ禍で家に居る事が増え、家族以外との接触が極端に減った事で自分自身と向き合い改めて自分の今後について考えるようになったのはきっと私だけではないはず。
そして私は、 “ただ何となく生きていたら1年が経っていた” というあまりにも味気ない数年間を過ごしていた自分が心底嫌になり、せめて自分くらいは自分を好きでいてやらないと…

「この先どんなに喜ばしい出来事が訪れてたとしても
幸せだと思えないのでは?」


という危機感を抱いた訳です。もはやホラー。

勉強したのは前々から興味があった分野ですが、直接今の仕事に関係する訳でも転職の武器にする訳でもありません。ならそれこそ自己満足だよねと言われたらそうですねと答えます。文字通り、 “私は満足した” からです。

仕事をしながら勉強するなんて
やる気が出ないだろうしきっと続かない。
学生ではなくなったのに勉強するなんて嫌だ。

やりもしない前から否定的に考えるだけの、何年か前までの私の言葉です。
当然の事ですが、知りもしないで否定をするのも頭ごなしに決めつけるのも良くない。それを長い間やってしまっていた。そういう自分を少しでも好きになれるように、物事を最初から否定するのはやめようと思いました。

結果的に、スキマ時間を活用したりまとまった勉強時間を設ける為に休日の計画を詳細に立てる等、自信や達成感以外でもプラスに働いたものも出てきました。しかも、あんなに嫌がっていたはずの勉強がいざやってみると楽しいと感じたのは驚いた。知識が増える事で自分の視野が広がるような感覚が得られて嬉しかったのです。(映画や本をやたら摂取したい欲が高いのも多分同じ理由だと思われる)


ーーーとはいえ。
本題に戻りますが、かなり乱暴な考え方をするならば、義務以外の権利による行動って殆んどが自己満足と呼べてしまうんじゃなかろうか。本来の意味以外で遣う事が出来るのが言葉の便利で厄介なところで、それぞれの言葉が持つ “ニュアンス” は遣う側や受け取る側、時代によっても変化するだろうし。

言ってしまえば今回私が資格の勉強をしたのも他人から見れば単なる自己満足です。でもそれの何が駄目なんですかね?自分の人生を生きていて、その人生における経験や衣食住、趣味などをより良いものにしたいと考える。こんなもんでいいやという妥協はしても、最初から「私の人生が最悪でありますように」とわざわざ願わない訳で。
自分は特に何もしなくても周りのあれこれに巻き込まれてしまうタイプも居るかもしれませんが、私の場合は自分が動かないと楽しい種類の変化が全然起きないんですよ。だから自分が動くしかない。楽しい予感がする道に恐る恐る進んでみる。そうやって、こっちだよ~きっと楽しいよ~とお膳立てしてあげないとハッピーになってくれないのですwたまにそんな自分が馬鹿みたいだなと思いますが、アラサーになった心境の変化なのか、逆に面白がれるようにもなってきました。本当に私っておもしれー女、と。(※そう思えるのは事が終わって暫く経ってからです)


ーーーという訳で。
これから私は “自己満足” という言葉はポジティブな意味として遣っていきたいという決意表明でした!話が回りくどいけれど言いたい事は言えたので良し!!