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『no plan in duty』─ ここにいて、たたずむ

 「no plan in duty」は、2015年に初演された「非劇」を原作とした展示パフォーマンスである。2022年5月12日から23日まで開催された。作は齋藤恵汰、補綴は岸井大輔、構成・演出は篠田千明。3人のパフォーマー(荒木知佳、矢野昌幸、稲継美保)と3人の展示アーティスト(いしいこうた、うしお鶏、大和田俊)による。会場は補綴・岸井が主催するPARAであり、本公演は拠点クロージング前の最終公演であった。

 PARAは、一軒の古い民家である。砂利が敷かれた庭があり、そこに面して縁側と玄関が仕付けられている。庭に入るための門には張り紙があり、「ロボットと踊れるって聞いたんですけど」と受付で声をかけるよう指示される。
 パフォーマンスは、いくつかの短い物語によって構成される。襖が取り払われた一階の畳の上であったり、スピーカーが置かれたフローリングの2階部分であったり、上演場所は物語ごとに変化する。各上演の間には5〜15分程度の間隔が設けられている。
 展示もまた、会場のあちこちで行われる。ブラウン管テレビに映る映像、プロジェクターによって壁に投影された3DCG、床に置かれたスマートフォンではアニメーションが流れている。
 観客は、入場時に手渡された劇場内マップを見ながら、上演・展示を追っていくことになる。いつ、どの場所にいるかは観客の意思に委ねられる。加えて入退場も自由であった。

 いくつかの上演・展示を自らが移動し見ていくにつれて、物語を少しずつ理解することができる。舞台は、2045年。近未来SF。手術によって死ななくなった人間がいるらしい。クラブの受付のロボット、踊るロボット。死なない爆発デモ、ロボットになりつつある人間、あわいにある自動販売機の存在。それらを想像できるようになる。
 時に、観客は物語への参加が求められる。一つに、サンプラーが使用できるシーンが挙げられる。録音された自動音声を、ボタンを押し再生することで、役を演じる俳優と会話し関わることができる。また「コロス」と題された上演においては、観客は配布されたテキストを声に出して読むことができた。
 しかし、それらに参加するかどうかも自由である。観客に強制的に与えられた言葉は「ロボットと踊れるって聞いたんですが」のひとつのみであるといえるだろう。これは、物語への入り口であると解釈できる。そこからどの程度構築された世界に沈むかは、観客自身の判断に委ねられる。
 加えて、フィクションから抜け出すための手立ても提示されていた。あくまで物語とは関係なく、スタッフはフラットに業務連絡を交わし続ける。庭先に置いてある手持ち花火で遊ぶこともできる。物語で象徴的に登場する缶のコーラを受付で購入し、飲みながら、縁側に腰掛けぼんやりと外の空気に当たることもできる。SFの濃密な空気は漂いながらも、観客はどこで呼吸するかを常に選択する。

 以上のような作品の特徴は、本を読むことと似ている、ともいえるだろう。好きなタイミング・好きな環境で物語に入り込み、脱出する。観客は、上演・展示に強制されない。自分がつくり変えられる程度を、自分自身で操作できるのである。
 しかし本公演は、読書とは明らかに異なるものだといえる。上演中、パフォーマーである稲継美保と、会話できるほどの近さではっきり目が合う時間があった。俳優は明らかに意識的に、こちらに目を合わせていた。本公演では、フィクションを取り込む鑑賞者自身だけではなく、同じ時間において、俳優そして物語を変容させることができるのである。
 この作用は「no plan in duty」の物語自体に関わるといえるだろう。いまこの時代に起こる様々な事象は過去との連続性を感じさせない。ひとつの疫病により、常識は流され、更地になり、これまでの自分の歴史もぼやけてしまった。生活は、過去と現在の狭間で、揺らぎ続けている。本公演において観客は、未来と現在、その間にたたずみ選択し、どちらにも参加しその両方をつくり変える。俳優と接触し互いに作用することで、作用させた自分の存在を確かめることができる。そのとき、曖昧であった自己の所在が立ちあらわれるのである。

 本作品が上演・展示された民家は、いまにも取り壊される寸前にみえる。場所自体に時間が積み重ねられている。劇場になる前は誰かの住まいであっただろう。劇場となってからも、そこで睡眠が、食事が、生活が繰り返されただろう。その痕跡をなぞり、消え去ることに悲しみを覚えながらも、門を出ると、観客だった人間は既にそのさきを生きている。


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