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アニメ「平家物語」の各話解説

アニメ「平家物語」を見ていて、知識不足で分からない部分も多かったので補足と備忘録としてまとめる。(※現在2話分まで追加)

人物相関図


まずメインキャラクター達の相関図をまとめてみた。
公式サイトにも相関図は載っているが端的すぎるので、少し補足した。
(※他キャラが登場したら追加していく)

相関図1

1話の補足

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一話では平家が権力・武力・財力、あらゆる領域において栄華を極めている最中から物語が始まる。まずは平家がそうした強大な権力をどのようにして得たのかをまとめる。

清盛の威光

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清盛の父である忠盛が、鳥羽上皇に得長寿院というお寺を造り、献上した褒美として昇殿を認められ出世する。
ただの一地方官から宮中の殿上の間に出入りできる特権階級の仲間入りを果し、平家の威光の基礎を築いた。そして忠盛が死ぬと、長男である清盛が家を継ぎ、保元・平治の乱で殊勲を上げると、武士としては初めての太政大臣(総理大臣的な)へ出世する。しかしこれをわずか3ヶ月で辞退してしまう。
理由は野望だった日栄貿易や厳島神社の整備に専念するためと言われている。
清盛は太政大臣になったという事実を用いて、清盛一族が朝廷の高官になれるように手引きする。このおかげで平家はスピード出世し、当時の朝廷の重要ポストの大半を制覇したと言われる。
清盛からすると太政大臣というポストそのものには興味がなく、それを利用して更に威光を高められないかと画策していた。
こうして武士である平家が権力を強めることで、朝廷からこき使われる今までの関係を打開し、今度は逆に朝廷にさえ強く出れる体制を築いた。

そして清盛は51歳の頃、病に伏せ出家した。アニメ版で頭を丸めているのはこの出家のためである。この病気は寄生虫関連のものと考えられ、本人の証言だとサナダムシらしい。
割とすぐに病気は全快し、最高権力者としての道を歩んでいく。日栄貿易により莫大な財産を手にした清盛は天皇をもしのぐ勢いだった。
ついには「平家にあらざれば人にあらず」と言われるまでに至った。
(※この言葉は時子の兄である平時忠のもの)

独裁政治の象徴「六波羅の禿」

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病気になったが、すぐに全快し更に権力を高めていった清盛。その体制は強引なもので、当然平民からもあまり評判がよくなかった。
そこで清盛は平家に反対する者の口封じとして、14~16歳の青少年を300人選抜し、京中を秘密探偵として見張らせたという。
平家の悪口を言う者を発見すれば、ただちに仲間を集め、通報。そして家財道具を奪ったり、捕縛し清盛の前に突き出したりと、無茶苦茶やっていたらしい。
こうした現状から皆、平家の横暴には不満があるのは当たり前なのだが誰一人として口に出す者はいかなかったそう。政府の高官でさえ、目をそらしたとのこと。まさに独裁政治といった感じで、ナチスドイツ政権時代のゲシュタポなんかも似たような役割だろうか。
どの時代、どの国も結局、独裁政治としてやることは一緒というわけです。
ただしこの禿は、実在したかどうかに関しては諸説あります。
(※平家物語において清盛の悪行を際立たせるための着色という説も)

これに不満を言ったのを見つかってしまったびわはそりゃ当然罰を受けることになるわけです。で、父親が代わりに斬られてしまう。この出来事をきっかけにびわは未来(さき)を見ることができるようになる。

殿下乗合事件

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一一七十年の十月、重盛の次男、十三歳の資盛とその一行が鷹狩りの帰り道に摂政・松殿基房の行列と遭遇した。
この時、下馬の礼といって、言葉通りなのだが、乗っていた馬から下りて挨拶をしなければいけなかった。

しかし資盛は平家であることに驕り、下馬の礼をしなかった。そうすると従者たちに無礼を咎められて、馬から引きずり降ろされボコボコにされてしまった。

で、孫が恥をかかされたのを聞いた清盛は激怒し、重盛には内緒で武装した兵たちを遣わせ、基房一行を待ち伏せし、髻(もとどり)を切る等、めちゃくちゃに報復した、という出来事が殿下乗合事件である。
(※髻はいわゆるちょんまげの束になっている部分のこと。それを切り落とすのはだいぶ屈辱的な行為と言えるだろう)

その後、報復の事実を知った重盛は摂政に無礼を働いた資盛を伊勢に追放した上、事件に関わった武士も勘当したという。
これを知った世間の人々は、重盛の行いを誉め、逆に清盛の行いを「平家悪行の始まり」とした。

平家物語の重盛は「息子の非礼が悪いのだから」と清盛をなだめようとするくらい温厚な人格者として描かれている。

だがこの事件は平家物語と史実ではかなり異なるものとなっている。
史実ではそもそも激怒し報復したのは重盛であり、清盛ではない。史実では驕る平家というのは重盛にも当てはまる部分があるようだ。

2話の補足

ダウンロード (8)

二話では重盛が「殿下乗合事件」の後始末をし、徳子が後白河法皇の息子・高倉天皇に入内することに決まる。

さらっと進行していきますが、この入内は非常に重要な出来事で、清盛と後白河法皇の政治的な思惑が大きく関わっている。
清盛からすれば、皇室に入り込むチャンスだし、後白河法皇からすれば強大な権力を握る平家との協調を図れるという互いにWINWINな出来事だったわけだ。どちらからこの入内を提案したかは不明。
ちなみに徳子と高倉天皇は従姉弟関係に当たる。

祇王の悲しみ

ダウンロード (7)

二話で印象的だったのがこの祇王のエピソード。
祇王は男装の舞姫で白拍子の舞を得意としていた。一目ぼれした清盛は祇王を愛人とし、祇王の妹や母親までも経済的に支援したとのこと。その生活は他の白拍子仲間がうらやむほど豪勢な暮らしだったらしい。

そうして3年くらいたったある日のこと、十六歳の白拍子である仏御前が都にやってくるとたちまち話題になり、新人スターになった。
それだけでは満足せず、仏御前は自ら清盛の屋敷に参上。清盛に無礼だ!帰れ!と一蹴されるが、同情した祇王の説得により舞を披露できることに。

舞を見た清盛はすっかり感動し、心を奪われ逆に「祇王を追い出せ」と命令する。祇王はやむなく三年住んだ屋敷を後にすることになってしまう。
祇王からしたら「は?」という感じだろう。

「萌え出づるも枯るるも同じ野辺の草いづれか秋にあはではつべき」
清盛に捨てられた祇王は襖にこのような歌を残して地元に帰る。辛い。

歌の意味:春になって萌え出る若草も、霜に打たれて枯れる枯草も、もとは同じ野辺の草。一時の差はあれどどうせいずれ秋が来てどちらも落ちぶれることは避けられない。

新たに寵愛を受けることになった仏御前、お前も結局飽きられるんだぞ、という意味だろう。

仏御前の懺悔と友情

ダウンロード (9)

捨てられ実家に帰った祇王は毎日、泣き伏せる日々。経済的な援助もなくなり妹母と共に寂しく暮らしていると、使者がやってきて「仏御前の退屈を慰めるために出頭し歌うなり舞うなりしろ」と命令が。

さんざん寵愛してポイ捨てし、今度は仏御前のために舞え!という清盛の鬼畜っぷりは異常。

しかし祇王は辛さと悲しみを飲み込んで、屋敷へ出頭する。なんとか仏御前の前で歌うが、清盛のあまりに冷たい態度に絶望してしまう。

帰宅するなり、祇王は自害しようとするが、母に説得され思いとどまる。
しかし都に住んでいるとまたつらい目にあうと考え、一家で嵯峨の山奥に移り住むことに...。一家で出家し、ひたすらに後世を願い念仏を唱える毎日が始まった。

そんなある秋の日、真夜中に念仏を唱えていると「トントン」と戸を叩く音がした。魔物かと思った皆は、恐る恐る戸を開けるとそこには尼姿となった仏御前が立っていた。

仏御前は「この世の虚しさを感じて、清盛から逃れてきました。あなたがお赦しになるなら一緒に後世を願いたい」と言ったのだ。
そして祇王は涙ながらにそれを受け入れ、四人で一緒に暮らしひたすら浄土を願った。

この未来(さき)をびわは見たのである。なんとも心にしみる。

アニメだと展開が早く、何がどうなったのかよく理解できない人も多かったのではないだろうか。私も背景を踏まえた上で、もう一度見直したが、思わず涙ぐんでしまった。

3話の補足

(※更新予定)

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