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01強くなりますように(後編)| あまのじゃくな神様は|

放課後の職員室にタケルはいた。
目の前には宮野先生が座っていて、その目線は立っているタケルよりも高い。袖をまくったワイシャツから伸びる腕は、タケルの腕の数倍、太かった。立っているタケルの背後を別の先生たちが何度か行き来した。タケルは手のひらをズボンにこすりつけ汗を拭き、じっと宮野先生の目を見ている。ときおり小さく顔が左右に揺れた。緊張したときにタケルはそうなることがある。

「窓、どうして割っちゃたの?」
宮野先生が聞いた。高い鼻梁の上に整えられた眉は少しも動かない。
「あの…た、体育のときに、縄跳びを忘れて…鞄の中に入れてて、鞄から取ったときに…あの、縄跳びの、あの握る部分がカツンと窓にあたって…割りました。も、申し訳ありませんでした」
そう言ってタケルは頭を下げた。呼吸をする度に肩が上下に動く。汗がダラダラとたれてくるので、時おりシャツの肩口で拭った。ハーフパンツの裾を、握ったり緩めたりを繰り返している。
「縄跳びの柄じゃさすがに、割れないだろう?プラスティックでしょ?」
「はい……」
「他に何かあったんじゃないの?」
タケルは首を横に振った。
「あれじゃ割れないよ。本当はどうしたの?正直に言ってみな、大丈夫だから」
宮野先生はしばらくタケルの方を見ていた。割れた原因が他にあって、それをタケルが隠している、と踏んでいるようだ。タケルが黙っていると、ふーっと、宮野先生は息をついて「まぁ、いいよ」と言った。宮野先生の顔にも少し疲れの色が浮かんでいるように見えた。
「で、割れたのには、すぐに気づいたのか?」
「…気づいてました」
「なんですぐに言わなかった?」
タケルの黒目が少し動き、白目の部分が充血し始める。目の周りも赤くなってくる。
「…怖かったから」
言うと同時に大粒の涙が溢れ出てきた。うっうっと体が動く。タケルは腕を上げ袖で涙を拭った。そのまま鼻も拭ったが、鼻水が頬まで広がりまとわりついた。それを手のひらで拭いた。宮野先生がテーブルのティッシュを箱ごと差し出してくれた。言葉が出なかったので少し頭を下げ、差し出されたティッシュで鼻をかんだ。何度か深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「まぁ…しょうがないよ。しょうがない。泣かなくていい。何があったにせよ、自分から手を上げてくれたんだ。勘介もホッとしたと思うぞ。その点はまぁ、偉かった」

タケルは首を横に振った。偉くなんてない。
「僕は…」
言いかけてタケルは言葉が続かなかった。
「卑怯な人間だ」と思った。
窓を割った後、ある時から心の中で、「勘介の責任になれば」と思っていたからだ。そして実際、そのようにことが運んでしまった。もう少しで勘介の責任にするところだった。

「手をあげるのは勇気がいっただろう?黙ったままでも過ごせたはずなのに、正直に言って偉かったな」
タケルの目からは再び涙が溢れ出し、喉がつっかえて咳き込んだ。咳と一緒にまた鼻水が出た。
「ごめんさない…」
そう言ってタケルは再びティッシュで鼻水を拭った。自分が小さく情けない存在に思われる。

「割れた窓はどう対処したらいいか、聞いてみる。事情も事情だから、まだ分からないけど。気にしないでいい。怒ってないし、多分、弁償もしなくていいと思う」
タケルはそこでも首を振った。怒られるからとか弁償のことで、涙が出る訳ではなかった。

「でも、あの場面で手を挙げたのは、偉かった。なかなか出来ることじゃない。怖いし、不安な中で、ああやって正直に言えるのは偉いことだよ」
タケルは目の周りを赤くしながら一度、鼻水をすする。しばらくすると気持ちが落ち着いてきたが、胸の内にあることを正確に説明することがタケルにはできなかった。


⛩ amano-jack

 
校舎を出るころには、夕日が空を深いオレンジ色に染めていた。
「遅い帰りだねぇ」
背中越しにかけられた声に振り返ると、用務員らしきおじいさんが立っていた。穏やかな微笑みを顔にたたえている。
「居残りで勉強でもしてたのかい?」
タケルは首を横に振った。
「窓割っちゃって…それで…」
「元気なことですねぇ。窓割るなんてねぇ、うん。元気な証拠じゃ。怒られて泣いてるのかい?」
慌ててタケルは目元拭った。コロコロと何か小さな異物が取れたような気がした。ほっほっほ、とそのおじさんは笑った。胸に名札が付いていて「天野」の書いてある。
「窓は割れるもんじゃ。気にしなさんな」
「窓を割ったのを他の人のせいにしようとしてて…。僕は卑怯者なんだ」
「ほ?卑怯者とな?」
ほっほっほ、と天野さんはまた笑った。
「それならちゃんと僕がやりました、って言ってきた方がいいですよ」
「それは言いました。でも…」
「だったらいいじゃないですか。お前さんは正直に言った。正直に言って謝った。人のせいにはしなかった。そういうことですよね?」
頷きながらも、タケルは胸の内では自分の行動をとても恥じていた。
「でも僕は人のせいにして、そのせいで勘介を苦しめちゃったから…やっぱり卑怯者だ」
「何を言っとるかい」と天野さんは声を大きくして、ガハハハ、と豪快に笑った。前歯が一本欠けている。どこか愉快な笑顔だった。
「卑怯者、卑怯者と言っとると本当に卑怯者になってまうぞい。気にしなさんな」
「でも…」

「ええかい」と天野さんが目元に笑みをたたえる。
「そうやって反省するのは大事なことじゃ。それは良い反省じゃよ。これからも、悪いことしたら、すぐ神様にごめんなさい、と謝ること。心を込めてごめんなさいをする。そしたら、神様は必ず許してくださる。なんでかわかりますか?」
タケルは首を横に振った。
「神様の仕事は、世の中に卑怯者や罪人を作ることじゃないんですぞ。お前はダメだ、卑怯だと言い続けるのが、神様の仕事ではない。神様のお仕事は、人を許して、またチャンスをあたえることじゃ。ちゃんと謝れた人には必ず、またチャンスをくださる。誠実さを守るチャンスを」
「誠実さ...?」
「そう、誠実さじゃ。お前さんは人を貶めようとした。自分の弱さがあった。でも、土壇場で自分の中の誠実さを守った。危うく自分の罪を人に押し付けるところじゃったが、そうしなかった。それができるのは強い証拠です。正しく生きる、というのは大変じゃ。強くないとできません。土壇場だろうがなんだろうが、誠実さを守る強さがお前さんにはあったんです」
天野さんはまたガハハハ、と笑った。タケルはもう少し続きが聞きたくて、天野さんの笑いが収まるのを待っていた。

「覚えておきなさい。誠実さを守ること。これが、強さの意味ですよ。これからの人生でも、お前さんの中に弱く卑怯な心が出てくるかもしれない。それが生きる上での最大の敵です。負けちゃいけません。常に正しい道、自分のことを差し置いてでも人の幸せを考えた道を取れること。神様に恥ずかしくない生き方が取れること。弱い自分の心との戦いに勝って、誠実に、強くたくましく成長していきなさいな」

ちょうどその時、下校のチャイムがなった。
「さぁ、そろそろ帰りましょうか」
見ると夕日が沈みそうになっている。
「昼には太陽が、夜には月が私たちを見てくださっとる。誠実に強く生きなさい」
静かな学校にガハハハ、とい天野さんの笑い声が響いた。 

⛩ amano-jack

 
夏休み前の日曜日に、タケルは家族でショッピングモールへ買い物へと出かけた。休日のため、人や車が多く混雑していたとこともあり、午前中に家を出て、帰ってくるころには夕方になっていた。

「あ、こんなところに神社がある」
助手席の母親が声を上げた。信号が赤になったのか、前の車がゆっくりと止まった。
「知らなかったの?」
運転席の父親が驚いたように聞いた。
「何年、近所に住んでるのさ」
「ずっとここにあった?」
「あったよ」
「そうなんだ。知らなかった。でも不思議よねぇ。近所に住んでいながら見過ごしていたなんて。可愛い鳥居ね、こじんまりしてて」
タケルも後部座席から神社の鳥居を見た。深い緑色をした木々が見える。
「あんまり人が近寄らない、隠された神社なんだ」
「隠されたって何?おおげさじゃない?」
「なんで人が来ないかって言うと…。おっ、何も知らずに出てきている人がいるよ。ほら、あの人。この神社に参拝しちゃったんだろうなぁ。お気の毒になぁ」

サングラスをかけた白いTシャツを来た男が神社の中から出てきていた。ジーンズに革靴を履いていて、腕時計が夕陽の反射させている。駅へと向かっているのか、タケルの自宅とは反対側へと歩いていた。車がゆっくりと動き始めた。
「お気の毒にってどういうこと?」
母親の問いかけに、後部座席のタケルも耳をそばだてた。
「ここね、地元じゃ願い事が叶わないで有名なんだよ。参拝するのはそれを知らない人ばっかりだね」
「えっ、そうなの?」
タケルは驚いて言った。
「どうした、急に?」
父親がミラー越しにタケルの方を見た
「さっき神社、願い事が叶わないの?」
「そうだよ。叶わないどころか、逆に災難が起こるで有名なんだ。『あまの神社』は」
「えー早く言ってよぉ…」とタケルはつぶやいた。
「何?何かあったの?」
母親が楽しそうに聞いてきたので
「いや、何でもないけど…」
とタケルは座席にもたれた。冷房のきいた車内から窓の外を眺める。まだ空は明るかったけれど、一つだけ星が光り始めていた。

「だからか…」とタケルは思った。
「あそこにお願いした次の日に学校の窓が割れたんだよな…。弁償とかなかったから、お父さんもお母さんも知らないだろうけど」
「どうしたのさっきから?」と母親が振り返った。
なんでもない、とタケルは言い、また神社を見た。

「昼には太陽が。夜には月が…か」
ふと、用務員のおじいさんのことが思い出された。あの日以来、学校で見かけることがない。もうすでにやめてしまったんだろうか。

「私たちを見てくださっとる。誠実に強く生きなさい、か」
ガハハハ、という笑い声がどこかから聞こえた気がした。


01 強くなりますように(前編)はこちら。
こちらの作品は#cakesコンテスト2020に応募する作品となります。

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