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25 ベンチ

私の暮らす集落のバス停に、ベンチがある。白い樹脂製で、夕暮れ時になるとそこに尻の大きなオバァが3人ほど座って世間話などをしている。
 
元々バスを待つ人のためのベンチだが、バスが来るとオバァたちは、「乗らないから早く行け」とイヤなモノでも追い払うかのように運転手に向かって手を振った。
 
3人掛けのベンチなので、後から来て溢れたオバァは自分の押して来た手押し車をイスにして自分の居場所を作った。
 
何しろベンチは樹脂製、つまりプラスチックなので軽量で、台風の時には転がってあちこちにぶつかり、南国の日射しと潮風にさらされているので劣化が激しい。そのうちとうとう脚が1本折れてしまった。それでもオバァたちは無くなった脚の部分をバス停の標識のコンクリート台座に載せ、2人しか座れなくなったベンチに平然と腰掛けて夕暮れの談話を楽しんでいた。手押し車をイスにする人がひとり増えただけの事だった。
 
ある夕暮れ、愛犬を連れてオバァたちの前を通り過ぎようとした時、親戚筋にあたるオバァから声を掛けられた。
「ニイちゃん(島では65才以下は若者だ)、このイス、何とかならんかね?」それは町内会長に言った方が良い、と言いかけて私はやめた。少し離れた村外れのバス停に、草木に覆われて苔むした同じ形のベンチが使われずに放置されているのを思い出したのだ。それを持って来れば問題はすぐに解決できる。
 
私は草木の中から泥まみれになったベンチを引きずり出し、車のリアハッチを開けてそこに突っ込んだ。何しろプラスチック製なので軽い。自宅まで運び、1時間ほどかけて苔と排気ガスで黒緑色になったベンチをタワシで磨き上げると、真っ白なベンチに蘇った。日も暮れたので設置するのは翌朝に持ち越した。翌早朝、脚が折れて2人掛けになったベンチはそれでもまだ機能していたので、その古いベンチと並べて白く蘇ったベンチを置いた。
 
その夕方、古いベンチと新しいベンチに腰掛けた5人のオバァたちから、私は手を合わせて礼を言われた。神仏のような扱いである。私はベンチを移動させて来ただけだ。けれども実のところ、私自身もオバァたちに喜んで貰えてかなり嬉しかったのだ。島へ来る前に住んでいた都会では味わう事の無かった感覚だ。人が人らしくなって行く道筋ってこう言うものなのかな、と私は思った。

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