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10 良い棋譜を書くということ

将棋の藤井聡太が、いつかの対局のあとのインタビューで「良い棋譜になったと思う」と語っていた。将棋とはそう言うものなのかと私は思った。一流アスリートが勝敗に関わらず「良い内容の試合だった」と語るのと同じ気分なのだろう。
 
少しく地域の事に関わると、「一緒に地域を盛り上げよう!」と意気込む人たちに声を掛けられる事がある。イヤだ、と思う。意気込むなよ、と。もしその気があるのなら意気込むのではなく呼吸を整えて、良く聞き、良く見て、良く感じる事から始めようよ、と。地域ってのは「相手」の集合体なんだから、それが「私たち」に変わるまでには険しい山河を越えなくてはいけない。むやみに意気込んで「相手」の心拍を乱す事は、自ら道を遠ざける所為である。
 
「オレのプロデュースで良い家庭を作ろう!」と鼻息を荒げて意気込む人もいないだろう。家庭では静かに家族の話を聞き、「そうだね」と同意して、「じゃ、こうしようか」と提案する事で静かな変化が生まれてゆく。相手のある事はすべて対局であり対話である。相手の話を傾聴し、良い棋譜を書き上げたいと思う。
 
「棋譜を書く」という事は「場をつくる」と言い換える事が出来るかも知れない。どうすれば良い「場」をつくる事が出来るのか。あるいは、この「場の感覚」「棋譜の感覚」を持っているのかどうかが大人と子供の境目なのかも知れない。試合の勝敗だけでなく、その内容に言及できるか否かが、一流アスリートと二流アスリートの差であるように。

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