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14 細部に命あり

建築家ローエの言葉として「神は細部に宿る」との言葉が残っているが、それ以前にもアインシュタインやニーチェがこの言葉を使用しており、その由来はわからないそうだ。しかし、だとしても、やはり「神は細部に宿る」のである。
 
川喜田二郎と言えばデータをまとめるための手法であるKJ法の考案者として世界に知られている。その川喜田の元でKJ法の研究と普及に従事した山浦晴男氏が、とある都市の地域再生支援に携わった際の事。担当課の課長に、緻密なワークショップとデータ集計に基づいた報告をしたのだが、自らを地域振興のエキスパートと自認するその課長は、「そのデータは間違っている」と言い放ったと言う。(『地域再生入門: 寄りあいワークショップの力』山浦 晴男  2015年/ちくま新書)何が担当課長にそんな言葉を言わせたのか。
 
物事にはすべて成り立ちがある。人ひとりについても、生まれた土地や家庭、友人関係、読書経験などの文脈によって人間性が陶冶される。1万円を多いと思う人もいれば、少ないと思う人もいる。それはその人を取り巻く文脈による。
文脈と言ってしまうと本質に対する枝葉末節といった意味に聞こえがちだが、物事や人とは分脈の集合体そのものであり、ルビンの壺のように影であり末節であるはずの物が、実は人や物事の実体、本質として浮かび上がるものなのだ。この道理がわからないと、前述の課長のような転倒を起こしてしまう。
 
器づくりの天才が知っているものは土であり気候であり炎である。地域とはそこに暮らす一人一人を構成する文脈によって成り立っている。地域振興のエキスパートと自認していた課長は、大学ではきっと優秀な学生だったのだろう。しかし彼は土も気候も炎も知らず、そこに暮らす人たちの成り立ちも理解していなかった。物事の正解は、土と気候と炎の中にある。地域の正義は、そこに住む一人一人の内にある。
故に、器や地域をかたちづくるためのリーダーシップとは、細部に命ある事を知り、目的へ向けて細部を活かしバランスさせる事である。神は細部に宿っているのだ。

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