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25 深い深い世界へ

私には普段たいへんお世話になっている民俗学者の知人がいる。その方の師はシャーマニズム研究で著名な、日本を代表する民俗学者である。シャーマニズム研究の対象として沖縄・奄美のノロとユタが選ばれ、奄美へ何度も通われるうちに私の知人とは師弟の間柄になった。知人もまたシャーマニズム研究で青森の恐山などを訪れている。そして私自身も現在、その知人から民俗学の道へいざなわれつつある。大抵の人はそんな話を訝しむものなのに、私が何の抵抗もなくシャーマニズムの話に乗って来る事を知人は不思議がった。その理由は私の実体験にある。

兄と私との間には姉が生まれているはずだった。しかし体の弱かった母は、医者から自身の命に関わるからと説得され出産をあきらめた。にも関わらず母は、兄弟がいなくては兄が寂しがるだろうとの理由で、翌年大変な思いをして男児を出産した。それが私だ。

昭和40年代始めの話であり、生まれてくる子供が男か女かなんて、出て来たものを観察するまでは誰もわからなかった時代である。なのにどうして私の前に生まれてくるはずだった人が姉であると言えるのか。

私が小学校5〜6年の頃、母が階段で転んで腰を打った。青いアザができたが、軽い打ち身だからと放っておいた。しかし、何週間たっても痛みが引かない。しかたなく医者へ行ったが、打ち身だからと湿布を出されるばかりだ。それを母が近所の友人に話したところ、母の友人は、何かにピンと来たらしい。数日後、母はその友人に連れられて、車で2時間ほど行った町の寺院へ行った。医者に見放されたらここへ来れば良いと評判の寺院だった。

少し待ってから母は尼僧のもとへ通された。部屋に入って来た母を見るなり尼僧はこう言った。「アナタの腰に可愛い女の子がぶら下がってる」事前に相談内容を話していたわけではない。続けて尼僧はこう言った。「長男坊と次男坊の間に、アンタ子供降ろしてるでしょ?可愛い女の子だ」子供が2人いる事だって事前に話したわけではない。信じる他なかった。ぶら下がっている女の子に尼僧が何を言ってくれたのかはわからないが、母の腰の痛みは帰路、車に乗った時には消えていた。

この話は、疑いようの無い事実として私の中にある。この手の話の真偽が取り沙汰される度に、私は非常にじれったい思いをする。この時の尼僧にはその後もう一度お世話になったが、その話は次回。ぼちぼち暑くなって来たのでこんな涼しげな話もたまには良いでしょ?

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