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44 なぜオヤジは失言するのか

失言や暴言、放言による政治家の辞任、解任、辞職は今に始まった事ではない。2014年には『政治家失言・放言大全 問題発言の戦後史』木下厚  2014年/勉誠出版 という784ページの大部の書まで出ている。なぜこれほどまでに政治家は失言するのか。いや、政治家だけが失言しているのだろうか? そうではあるまい。政治家は目立つ場所で発言するため失言・暴言・放言がクローズアップされるが、日常を見渡して頂きたい。身近な誰かの暴言や失言に辟易した事は無いだろうか? かく言う私だって、この一連の文章の中でどれだけ失言しているかわからない。つまりここで対象となるのは「オヤジの失言」である。
 
なぜオヤジは失言するのか。たとえば政治家が失言するシーンを思い浮かべてみると、何かウケを狙った時や、複雑な物事を簡単な例えに言い換えようとした時に失言している様に思える。データを取ったわけでは無いから、私個人の印象である。「たとえば?」と聞かれても失言・暴言・放言は文字通り失言・暴言・放言なのだから、ここに記すのも憚られる。必要であれば、ネットで「政治家 失言集」と検索してみて頂きたい。
 
ではなぜオヤジはウケを狙ってしまうのか。複雑な物事を簡単な例えに言い換えるのもウケ狙いに通じよう。それはひとえに、自信が無いからではないだろうか。迫力のある演説や説得力のあるスピーチをする自信が無い。だからウケ狙いに逃げる。記者や誰かからの質問に洒脱な返しが出来ればそれはウィットと呼ばれるが、自分から発するウケ狙いがウィットと呼ばれる事は無い。そもそも、捉え方によって失言と判断されてしまう様な場でウケを狙おうとする人とは大抵、お笑いの訓練などした事もない人である。少しくお笑いを心得た人ならば、そこが笑いを取りに行って良い場なのかどうかの判断が出来る。
 
つまりは、やはり「そもそも」なのである。必要な場で説得力のある言辞を述べられないと言うのは、そもそも、思考の言語化のトレーニング不足であると言える。自分の力不足を糊塗するためにウケ狙いという策を講じ、案の定、失敗した結果がオヤジの失言なのである。

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