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まつお会議2023

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故郷、北海道のメルマガ「ほぼ週刊さろま」へ寄稿したものを、ここに保存しています。
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記事一覧

#51 君たちはどう踊るか

歳暮や中元として、松尾ジンギスカンのセットを贈ることが多い。「松尾さんのご実家ですか?」…

松尾 憲幸
4か月前

#50 まず着手

電話口で「今年もお世話になりました」と言われた。もうそんな時期かと思った。あと10日余りで…

松尾 憲幸
4か月前
3

#49 12月の風景

タイトル横の番号が50に近づくと年末が近いことを感じる。順調にいけば今年は51が最終だ。1月…

松尾 憲幸
4か月前
1

#48 みたび、ポメラ

先々週と先週、2回に渡ってキングジム社のポメラについて書いたが、今回も触れる。使い始めて…

松尾 憲幸
5か月前
37

#47 バレットジャーナル専用マシンとしてのポメラ

先日購入したポメラの使い勝手がすこぶる良い。これまでは入力効率や一覧性が悪いという理由で…

松尾 憲幸
5か月前
13

#46 ポメラ導入

仕事柄、1日中パソコンに向かっていることが多い。なのでキーボードにはこだわりたい。以前、…

松尾 憲幸
5か月前
25

#45 離れ小島のお山の大将論

奄美市の名瀬と呼ばれる地域が、奄美群島の行政と商業の中心地である。今でこそ人口減少が進み縮小傾向にあるが、人口がピークとなった昭和の中頃には児童数が1,500人を超すマンモス校がいくつもあった。なかでも奄美小学校は昭和33年には1校で2,834名の児童数であった。団塊の世代が小学生だった頃には、きっとどの地域もこのようなものだったろう。   私が島に来た14年前、名瀬育ちの人が「私は都会育ちですから」と口にするのを、冗談だと思って聞いていた。人口200万人以上の都市から越して

#44 島暮らしのこと

フリーランスでICT(情報通信技術)に関わる仕事をしている。愛知県で暮らしていた頃に成り行…

松尾 憲幸
5か月前
5

#43 みんなの作業

「名もなき家事」という言葉がクローズアップされたのは数年前のことだ。洗濯や掃除などの「名…

松尾 憲幸
6か月前
5

#42 秋つれづれ

10月の奄美大島は穏やかだ。日中こそ陽射しが肌を刺すが、湿度も下がり吹く風は心地よい。少し…

松尾 憲幸
6か月前
2

#41 メガネ

「松尾くん、大人の階段上ったね」と知り合いの眼鏡店の店長から言われたのは3年前のことだ。2…

松尾 憲幸
6か月前

#40 あの頃

私が佐呂間高校を卒業したのは昭和60年の3月で、もう38年も前の事だ。その後は仙台の大学へ進…

松尾 憲幸
6か月前
4

#39 そんな年代

「前に帰省したのいつだったっけ?」こんな時は最近ならSNSの履歴を調べるとすぐにわかる。Fac…

松尾 憲幸
7か月前
1

#38 解き放たれて

14年前に義父の介護が必要になって愛知県から奄美大島の妻の実家へ越して来た際、私たち夫婦が入る部屋には古い荷物がぎゅうぎゅう詰めになっていて、その片付けが奄美に来て最初の仕事だった。義母が物を捨てられない性格な上にさらに物を買い込む人で、ミニマルを心掛ける私にとって奄美の家は不要物の山であった。   さっそく近所から軽トラを借りてきて市営のクリーンセンターまで何度も往復して不要品を整理した。最後の荷物を運び終えた帰途のことである。目の前を廃品回収のトラックが走っていた。その後