#45 離れ小島のお山の大将論
奄美市の名瀬と呼ばれる地域が、奄美群島の行政と商業の中心地である。今でこそ人口減少が進み縮小傾向にあるが、人口がピークとなった昭和の中頃には児童数が1,500人を超すマンモス校がいくつもあった。なかでも奄美小学校は昭和33年には1校で2,834名の児童数であった。団塊の世代が小学生だった頃には、きっとどの地域もこのようなものだったろう。
私が島に来た14年前、名瀬育ちの人が「私は都会育ちですから」と口にするのを、冗談だと思って聞いていた。人口200万人以上の都市から越して