#39 そんな年代
「前に帰省したのいつだったっけ?」こんな時は最近ならSNSの履歴を調べるとすぐにわかる。Facebookなら2011年まで遡ることが出来る。それ以前の分はブログを見ると2006年までのデータを得ることが出来る。それ以前だとDVDに保存したデジカメ画像で1998年くらいまで遡ることが出来る。
さて、帰省の話だ。9月26日から10月2日まで帰省した。それまでは3年に1度くらいしか帰省していなかったのだが、コロナ禍以来3年ほど、なんだかんだと毎年帰省している。以前の帰省は「ちょっと帰ってみるか」といった感じで、郷愁にも近い気分的なものがきっかけであったのだが、昨今は80を過ぎた母の入院やその他諸々の対応、亡くなった父の法事など課題ありきの帰省である。そんな年代なのだ。
そう、帰省中、会う人ごとに話す話題も「そんな年代」についてだった。一人暮らしをする母の気持ちと子の気持ち。それらがかっちりと噛み合う事は無い。「奄美に呼べば良いじゃない」以前なら当たり前にそんな事を言う人もいたし、こちらもそう考えた。しかしそう簡単には行かないと気付くのも「そんな年代」なのだ。課題は「どこでバランスを取るか」である。今は年を置かずに帰省する事でバランスが保たれている。今後も、こちらのフレキシビリティを高めることによってバランスを取り続ける事になる。
今回の課題は「母の不安解消」であった。母は、80を過ぎてクルマの運転をやめようと決めた。ではクルマの運転をやめた後の買い物は?通院は?そんな諸々の不安について、ケアマネさんにも入って頂いて話し合った。それとなく落とし所の見当は付いたが、それで母の不安が解消出来たとは思えない。来春、実際にクルマを手離して生活してみて、新たな課題がきっと見つかるのだろう。それまでも1日ごとに母は年を取りさらに不安も増すに違いない。たぶん、母の不安はずっと消えない。
空いた時間に懐かしい佐呂間の町をぶらぶらと歩いた。秋口には秋口の匂いがする。堤防付近、昔の営林署の住宅があったあたりを散策していたら、近所の家にクルマが入っていき、降りた人と目が合った。「よお!」「おお!」お互いに手を上げる。同級生の水戸くんだった。何年も会っていないのにすぐに分かる。しばし「そんな年代」の話をしたあと、「事務所に寄って行けよ。みんないるよ」との事。「ヨシノリもトシオもキミちゃんもいるよ」JAサロマの事務所には同級生が何人か机を並べていて、それぞれが立派な役職に就いているのだった。事務所にお邪魔してしばし談笑し、みんなで記念写真を撮った。同級生っていい。
奄美へ戻る前日、母と共に堀 元町長のお宅へご挨拶に伺った。元町長は、私にとっては同級生のお父さんであり私が子供の頃から両親ともに懇意なのだった。ご夫妻とも以前と変わらず若々しく、突然の訪問にも関わらずこころよく応対して下さるのだった。
変わるもの、変わらないもの、変えちゃいけないもの、そんな諸々にしみじみと感じ入ってしまう。「そんな年代」なのだ。翌日、懐かしい風景を心象に焼き付けて奄美へ帰島した。
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