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許可を求めるな、謝罪せよ

「許可を求めるな、謝罪せよ」と言う言葉があります。

 もともとは3Mの社史(のようなもの?)に由来しているそうです。
以下、ソースのけんすうさんのブログ。(元のソースは更に別の方のブログですが)

 引用:『許可を求めることより許しを乞う(謝罪する)方が簡単である。ひたむきに仕事をすれば、深刻なダメージや危険にあう可能性は低い。間違った決定による時間が、長期的にみて、みんなの許可を得るために待つ時間を上回ることはない

この言葉にある誤解

 この言葉は、しばしば「鈍重な許可プロセスを経るくらいならまず実行せよ」的な文脈を切り取って語られることが多いのですが、僕は「ひたむきに(sincere attitude)仕事をすれば」という部分がキモだと思っています。

 「sincere attitude」、「誠実な態度」。すなわち、「公明正大に」物事に取り組む限りにおいては、そんな変な話にはならない。であれば、許可を得ることに尽力するよりは、その労力を速やかな実行に傾けることが肝要である。そういうことを説いているのかなと思います。

思い起こされる「やらかし先生」談

 少し長くなりますが、思い起こされる「やらかし先生」的なエピソード。以前、社外団体にて事例講演をさせていただいたことがあります。

 真っ正面から挑むと止められる確信があったので、諸々の手続を「うっかり忘れて」申し込んだのですが、いざ講演資料を提出するために社長決裁を上げる段になって、偉い人に怒られました。
 本来は「社外事例に応募するにはまず資料を完成させて社長決裁を通さねばならない」となっているので、怒られて当然なのですが。

 講演資料の内容は一般的な知見に基づくもので、機密情報の欠片もないので、「この内容を社外に出したとしても誰にも迷惑をかけない」という確信がありました。事実、社長決裁を経て、直しが入ったのは2ページの微修正だけでしたし。

 色々あった社外講演でしたが、アンケートも好評でしたし、社外に自社の実績が残せたのは良かった、と今でも思っています。

結果責任を負うということ

 このエピソードで伝えたかったのは「諸々のプロセスをすっ飛ばすにしても、行いが『公明正大である』という信念、確信を持ち、結果に責任を負う覚悟を持つことが重要」だと言うことです。
 好き勝手やって「あとは会社が責任取るから謝ればエエやろ」ということでは断じてない。仕組みを逸脱するからにはそれなりの責任も伴うと考えて、鈍感力を発揮して実行を続けたいと思う今日この頃です。

時代は変わるもの

 で、急になぜこんな話を記す気になったかというと。
 無茶苦茶カッコイイ社内のロゴを「コレは広めねばならなぬ」と有志でグッズ化したら、うっかり偉い人に見つかって「正式化していいよ」と言っていただけたからでして。
 社外事例とグッズ化では全然レベル感が違うとは言え、時代は変わるものです。

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