スペイン_グエル公園の写真

Queen - Innuendo (Official Video)とスペインへの憧憬

Queen - Innuendo (Official Video)とスペインへの憧憬

よく記憶にないから、もしかしたら違うかもしれないけれど、1991年、バルセロナオリンピックの前の年、わたしはスペイン8日間の旅に出ていた。

真夏だった。スペインの日常の気温は40℃を超えていた。歩きながら、ペットボトルの水を補給することは必須要件になっていた。

色々な都市を、たった8日間の日程で、回った。

バルセロナにも行った。バルセロナには、わたしが大好きな建築家であるガウディの作品群がある。

バルセロナのオリンピック競技場も旅のツアーのコースに入っていた。

その翌年オリンピアの祭典が開催される会場のまわりは、わたしにとっては何の魅力もなかった一方で、不思議なデジャブに満ちていた。

今でいうとつくばEXのつくば駅があるあたり、つくばセンタービルの一塊は、1990年代当時のわたしの休日の行きつけの場所だったけれど、そこは日本の代表的建築家である磯崎新の1983年の作品群でもあった。建築としては評価しうる造形です。
そして、バルセロナのパラウ・サン・ジョルディとその一帯のオリンピックのための建築群の設計(1990)もまた、磯崎新の作品だったのです。

わたしは、大枚叩いて、遥々スペインのバルセロナまで来て(初めてで唯一の海外旅行だ。)、翌年の華々しい祭典の開催を控えたバルセロナのオリンピック競技場の界隈で、あり得ないほど「つくばの真ん中の広場」のデジャブを見ていた。

そのバルセロナらしからぬ雰囲気の界隈は、つくばの匂いがした。

仕方がないことだけれど磯崎新の作品の造形は、わたしには、つくば臭が付きまとう。埃っぽい金属臭のような、朽ち果てた錆びた鉄とコンクリートと安っぽい塗料と接着剤の薬品臭がする滑り台のような、「嫌なにおい」がする。

何のロマンもない。真夏のスペインで、筑波の真ん中のしおれた廃墟のような雰囲気を、なんでまた、あこがれのバルセロナでぇ~⤴。

という気持ちだったのだ。

それに対して、バルセロナの市街地のアントニオ・ガウディ(1852年 - 1926年)の一連の建築群は素晴らしかった。

スペインの写真5(1)

幼いころ読んだ文庫本の文章と小さな挿絵と写真と、図書館で見た写真集でしか知らなかった建築群を、間近に見た。

不思議な建築―甦ったガウディ (講談社現代新書) 下村 純一

via @amazonJP

スペインの写真4

その年だ。1991年は。そしてその年の2月に、Queen の Innuendo がリリースされていた。

わたしがこの曲を知ったのは、今年の2月になってからだ。

ラベルのボレロを意識したようなイントロのパーカッションとメロディ。そして、美しくも、もの悲しいフラメンコの間奏が入る。

わたしは、その8日間の旅行の途中で、フラメンコを見た。

スライド2

スペインの大地を激しく踏みしめるように、その狭い舞台の床の板を太く逞しい足で叩きつけるように踊るダンサー。

YouTube のQueen - Innuendo (Official Video)の動画には、スペインへの憧憬が溢れている。

Innuendo に溢れるスペインへの憧憬は、まるで手に届かない遥かな高貴なものを追い求める憧れの、ロマンスの、淡い、そして激しい慟哭のよう。

フレディ・マーキュリーの、死を意識した、その憧憬と芸術、彼のミュージックへと向かうリビドーの、最後のもがき方の激しさが、曲の最初から最後までの隅々にまで感じられる。
悲しい。そのもがき方が人間らしくて、涙が出てしまう。

健康であれば、それですべてが容易に解決する事だから。

そのフレディの慟哭のようなヴォーカルにぴったりと合わせるように演奏される、情熱に満ちた、狂気へと傾き気味のかぶいたインストゥルメント、ロジャー・テイラーのドラムに、ブライアン・メイのギターに、ジョン・ディーコンのベースに、彼らの Queen という音楽への向き合い方の、その終着地点の完成の形を見る。

音楽の神様が連れて行ってしまいそうになっている彼らのミューズを、その手に留めておきたいという、彼らの儚いけれど一途な、破天荒でやけっぱちで繊細でこれ以外の願いはないからという祈りのような思いが伝わってくる演奏に、人間の愚かさと無力さと何にも代えがたい人間賛歌を感じる。

Queen - Innuendo (Official Video)

via @YouTube

曲の最後のフレディのヴォーカルは、魂の叫びそのもののようです。

"
Till the end of time.
"

続いて、ロジャー・テイラーのドラムがダダダダと何かを叩き壊したがっているような力強さでリズムを刻み、ブライアン・メイのギターが、被さるように高音の残響のようなロングトーンを奏でて曲は終わります。

まるで、オオカミの遠吠えのような、切ない高音が長く長く続きながら次第に減衰していく。

フレディが、彼の向いている先に見える深く暗いトンネルの奥のほうにかすかに見えている死神の方向に、その腕で這いずるようににじり寄っていきながら、そのはるか遠い先に見えている、一筋の華やかな光のあるバルセロナオリンピックの開催のその日の祭典へと、彼の右腕を、力の限り差し伸べて近づいていくその時間を共有しているような、まるで、その時間が、ぎりっぎりっときしんだ音を立てながら、ぜいぜいと喘鳴を立てながら、徐々に進んでいくような曲調が、彼の慟哭の激しさを聴く人へと伝えてきます。

Google ( queen Innuendo lyrics 🔍)

翌年1992年のバルセロナオリンピックのテーマソングとして、フレディ・マーキュリーは、スペイン人のオペラ歌手モントセラト・カバレと、彼の曲「バルセロナ」を歌う予定になっていた。

Freddie Mercury & Montserrat Caballé - Barcelona (Original David Mallet

via @YouTube

フレディ・マーキュリーは、そのバルセロナオリンピックの開催の前に、1991年11月24日に、エイズに起因する肺炎によって、力尽きて息を引き取る。

1991年、夏、わたしの自分にできる最大の、そして本当にちっぽけな小さな8日間の「旅」をした。

スペインの写真10

その小さな旅にとってはあまりに広大なスペインの大地を、バスの窓からその大地を眺めながら移動していた、あの真夏なんだな。その年の夏というのは。

フレディが憧れに憧れて、その死の直前に、もがきにもがいて曲と対峙していた、そのスペインをわたしはその夏に旅していた。

まるでわたしの故郷のような愛情を持つ、遠い憧れの国を。

スペイン_王の広場の写真_トリミング

フレディとどこかで、わたしの多次元の時空の空間がつながっている。それが、不思議です。

そんな人は世界には多いのだろうけれど(笑)。そして、それが、フレディ・マーキュリーの天才性の一部なのだろうけれど、あまりに悲しい曲 Innuendo を聴きながら、わたしは、1991年の自分のスペインでの旅での、バスの中から窓の外の景色を眺めながら流した涙を思い出すのです。

憧れの国、スペイン。そして、自分の人生の、その、そのものの悲惨さや残酷さや悲しさを全身で反芻しながら、その時、美しく広大なスペインの景色の中で、日本では流せなかったような、硬質水のような、さらりとした涙を素直に流しながら、バスの外の広大なスペインの大地の景色を眺めていたその時間を思い出すのです。

もう記憶が薄れているから、正直に言うと、まったく思い出すことはできないのだけれど、なにか、そこに、フレディ・マーキュリーの天才性の、フレディの息づくその吐息が聞こえるようで、

忘れてしまった記憶へと、フレディにはじめて出会いたくて、うっとりと旅する様に戻る気持ちになるのです。

スペインの写真3

Queen's Greatest Hits of the 1990s
https://www.youtube.com/playlist?list=PL2tMgWgIvcWleHilm1ZFJr-7rHUp73kNu
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イニュエンドウ ユニバーサル

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「フレディ、ねぇ。お座りにならない?」(妄想)

スライド3

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フレディ・マーキュリーの音楽と、三好達治が仏蘭西文学の影響をすごく受けて書いた詩集「測量船」とのイメージの重なりについて、なにか、直感的には確信するのだけれど、わかりやすくは、言えない。

よく考えると違うかもしれない。

単に、どちらも好きなだけなんだけれども。

測量船|
三好達治

郷愁

蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬まがきを越え、午後の街角に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」


乳母車

母よ――
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花(あぢさゐ)いろのもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり

時はたそがれ
母よ 私の乳母車を押せ
泣きぬれる夕陽にむかつて
りんりんと私の乳母車を押せ

赤い総(ふさ)ある天鵞絨の帽子を
つめたき額(ひたひ)にかむらせよ
旅いそぐ鳥の列にも
季節は空を渡るなり

淡くかなしきもののふる
紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知つてゐる
この道は遠く遠くはてしない道


Enfance finie

海の遠くに島が……、雨に椿の花が堕ちた。鳥籠に春が、春が鳥のゐない鳥籠に。

約束はみんな壊れたね。

海には雲が、ね、雲には地球が、映つてゐるね。

空には階段があるね。

今日記憶の旗が落ちて、大きな川のやうに、私は人と訣わかれよう。床に私の足跡が、足跡に微かな塵が……、ああ哀れな私よ。

僕は、さあ僕よ、僕は遠い旅に出ようね。


アヴェ・マリア

鏡に映る、この新しい夏帽子。林に蝉が啼いてゐる。私は椅子に腰を下ろす。私の靴は新しい。海が私を待つてゐる。

私は汽車に乗るだらう、夜が来たら。
私は山を越えるだらう、夜が明けたら。

私は何を見るだらう。
そして私は、何を思ふだらう。

ほんとに私は、どこへ行くのだらう。

窓に咲いたダーリア。窓から入つて来る蝶。私の眺めてゐる雲、高い雲。

雲は風に送られ
私は季節に送られ、

私は犬を呼ぶ。私は口笛を吹いて、樹影に睡つてゐる犬を呼ぶ。私は犬の手を握る。ジャッキーよ、ブブルよ。――まあこんなに、蝉はどこにも啼いてゐる。

私は急いで十字を切る、
落葉の積つた胸の、小径の奥に。

アヴェ・マリア、マリアさま、
夜が来たら私は汽車に乗るのです、
私はどこへ行くのでせう。

私のハンカチは新しい。
それに私の涙はもう古い。

――もう一度会ふ日はないか。
――もう一度会ふ日はないだらう。

そして旅に出れば、知らない人ばかりを見、知らない海の音を聞くだらう。そしてもう誰にも会はないだらう。

出典:青空文庫 測量船 三好達治
https://www.aozora.gr.jp/cards/001749/files/55797_55505.html

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Queen のアルバム Innuendo には他にも、いい曲が沢山あって、ずぅーっと聴いていたくなるんだなー。。

Innuendo Play list
https://www.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_nEJBD2E8jnTR82vzyWTtuufON-EhdOyR0

via @YouTube Queen Official

Queen - I'm Going Slightly Mad (Official Video) https://youtu.be/Od6hY_50Dh0

via @YouTube Queen Official

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Queen - Headlong (Official Video)
https://youtu.be/zhyaAPsT1LU

via @YouTube Queen Official

Google ( queen headlong lyrics 🔍)

そして、旅は続く。

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Queen - These Are The Days Of Our Lives (Official Video)
https://youtu.be/oB4K0scMysc

via @YouTube Queen Official

Google ( queen these are the days of our lives lyrics 🔍)

I just want to resonate with him and live.

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イニュエンドウ ユニバーサル

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Queen - Don't Try So Hard (Official Lyric Video)
https://youtu.be/b7kUc5RcMqc

via @YouTube Queen Official

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スライド1

The Dragon (with Freddie Mercury's voice):

"Don't Try So Hard." (妄想)

※Stage directions: And soon, Freddie Mercury sings from the top of the marble stairs and fades in. (妄想)


Queen - Ride The Wild Wind (Official Lyric Video)
https://youtu.be/JlRyk4CXXCI

via @YouTube Queen Official

Google ( queen ride the wild wind lyrics 🔍)

Queen - All God's People (Official Lyric Video)
https://youtu.be/guPpf_gaESE

@YouTube Queen Official

Google ( Queen All God's People lyrics 🔍)

I love you, Freddie Mercury.

そして、この曲で終わっていいかどうか、わからないけれど、

「とても明るい、サムソンとデリラ(Samson et Dalila)」の歌

"Delilah" is a song Mercury penned for his favorite female calico cat named Delilah.
※Source: Innuendo (album)
From Wikipedia, the free encyclopedia https://en.wikipedia.org/wiki/Innuendo_(album)

Queen - Delilah (Official Lyric Video)
https://youtu.be/yEYRoXWmWYU

via @YouTube Queen Official

(=・ω・=)にゃ~♥

Google ( queen delilah lyrics 🔍)

※出典:サムソンとデリラ (オペラ)|フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちょっと解説|

うろ覚えなサムソンとデリラのストーリー

サムソンの所属する宗教の民族と、宗教的に対立する別の宗教の民族とが、一つの土地をめぐって紛争中だったんです。

サムソンの所属する宗教の民族は、当時、別の宗教の民族に虐げられていた。たぶん、権力的に別の宗教のグループが有利な政情だったんだと思います。

サムソンは、自分の所属する宗教の神様から、神通力を与えられました。今でいうと、軍備・軍事力みたいなものでしょう。

産業革命後、第一次世界大戦以降、内紛にしても戦争にしても、大量破壊兵器の導入によって、戦争のフェーズが変わりました。戦争が起これば、大量破壊兵器によって、瞬時に大量虐殺が起きる。軍備は、戦争と戦争の抑止の両方に使われるようになりました。

当時は、産業革命以前の世界が広がっていたので、その地域の土地の統治をめぐっての紛争においては、サムソンの神通力が決定打になりました。

サムソンの所属する宗教を持った民族は、迫害に対抗して内紛をおこし、その土地を制圧しました。

サムソンは、土地を治めるために、内紛中の別の宗教に属する民族の娘と結婚することにしました。戦国時代にはよくあることです。それで、和平を結ぼうとしたのです。別の宗教の民族は、まだ、紛争の最中で和解に至ろうとはしていませんでした。そして、サムソンのもとに、デリラという魅力的な女性を向かわせるのです。

デリラは、いってみれば、スパイ映画の007(ダブルオーセブン)にでてくる女スパイのような女性です。

サムソンは、神通力を神様から授けられていましたが、その神通力の秘密(実は、サムソンには、神通力を失ってしまうある弱点があったのですが)、その秘密は誰にも言ってはいけないと、神様との契約の中で言われていました。

デリラを差し向けた別の宗教の民族のトップの一員である司祭は、デリラに、サムソンを誘惑して、サムソンの神通力、つまり、当時の軍事力に相当するものですが、「その神通力を止める方法を白状させろ。」と指示していました。

デリラは、サムソンの神通力の秘密を知りたがります。サムソンは、魅惑的な女性であるデリラを愛し始めていましたが、

「いや、それは言えないよ。神様と約束しているから。」

と断りました。しかし、デリラの誘惑は続きます。

そして、サムソンは、割とリベラルなひとだったので、それに、デリラの誘惑には勝てなかったので、最終的にその秘密を

「君だけだよ。ほかの誰にも話してはいけないよ。」といって、

「僕の神通力は、実はこの長い髪を切ると消えてしまう。僕は、髪を切ってはいけないんだ。」

と教えてしまいます。

それを聴いたデリラは、すぐに、自分の宗教の神を懐く神殿の司祭に、そのことを告げに行きます。

そして、クーデターは起きたのです。

サムソンは、クーデターを起こした別の宗教の民族の兵隊によって、髪を切られて、神通力をなくしてしまいます。
そして、目をえぐられて盲目となったのち、神殿にある大きくて重い石臼に鉄の鎖でつながれて、奴隷として見世物となって、重い石臼を挽き続ける毎日が続いたのでした。

サムソンは、神に祈ります。神様に謝罪して、「どうかもう一度、自分に神通力を授けてください。」と祈り続けました。

その声を神様はききとどけて、もう一度だけ、サムソンに神通力を授けたのでした。

サムソンは、神殿の巨大な石臼に縛り付けられた自分の足についている鉄の鎖を引きちぎろうとします。大きな石臼は神殿の柱と繋がっていたので、石うすが神殿の柱ごと、大きく揺れました。

たぶん、地震が少ない土地柄だったのでしょう。神殿は、石でできていて、耐震・免震構造では建築されていませんでした。神殿は、そのサムソンの怪力による揺れに耐えられずに、天井が崩落し始めます。

天井もまた、石材で作られていました。そして重い石材の天井が崩落し始めて、神殿の中にいた人たちは、全て、石の下敷きになって死んだのです。
その神殿の司祭と、サムソンとデリラも含めて。

これは、原本を読んでいないので正確な話ではないのですが、原本は、旧約聖書・士師記に登場する物語です。その物語をもとにして、 サン=サーンス作曲のオペラや映画、そして絵本などが作られています。

その紛争があった地帯は、現在は、イスラエル、パレスチナなどと呼ばれている地域。

今でも、まるで旧約聖書に書かれたままのような紛争が続く地帯です。

わたしは、思うのですが、言葉というのは言霊ともいうように、言葉が運命を支配することもある。そういった力がある。予言とも言いますが、言葉を言うときは、大小の違いはありますが、いったん数分間考えて、気を付けて発言しましょう。

特に、最近は、誰でもスマホ片手にテキストを打って、公の場で世界中に向けて発信できるプラットフォームが無料で開放されているというビジネスモデルがあって、つい、その場で、書面整備して発行してしまう人が多いのですが、ウェブ上の文章はトレースが切れませんから、なるべく文字で書いて公に発表する場合は、事前に添削してもらって、承認を得てからにするなどの方法をとりつつ、自分の役割と責任を常に自覚し、責任の所在と役割の内容とを、周りとのコミュニケーションによって、共通の価値観とその全体構造と自分の位置とのバランスに関する俯瞰的な認識を持ちながら、常に周りを気遣いながら、言葉を選んで、相手を思いやりながら丁寧な話し方をする修行を積むとよいです。(※人間同士のコミュニケーションについてのみ述べています。また別のアプローチもありますが、それはレイヤーを分けて戦略的に手法を選択してヤルことである場合が多いです。)

それは、ともかく、フレディ・マーキュリーが、このサムソンとデリラを意識して三毛猫ちゃんにデライラという名前を付けたのかどうかは不明ですが、彼の歌からは、彼がデライラのことがとても好きという気持ちが伝わってきます。

きっと、サムソンとデリラのサムソンも、本当にデリラのことを愛していたに違いありません。

※閑話休題

__________

プロローグ|

フレディ・マーキュリーが生きている間に制作された Queen のアルバムとして最期となったこの Innuendo の、ラストの曲は、ブライアン・メイが中心となって書かれた "The Show Must Go On" です。

このラストの曲では、フレディの体調が悪化していたためか、ビデオで、この曲を歌っているフレディは、数秒しか写っていない編集になっています。

Queen - The Show Must Go On (Official Lyric Video)
https://youtu.be/1HzR0nTfKFk

via @YouTube

個人差はあるけれど、普通に考えると、物心つくのは大学を出て社会人として、社会の中で認められ役割を担い始めてからだと思う。そして、Queen のメンバーが、初めて自己肯定感をもって、自分たちの社会における役割を自覚したのは、Queen というバンドでの音楽活動を通じてだったと思う。

ロックバンドでのショーが、彼らの心の中では、まったく本当に、彼らの社会におけるミッションであり、喜びであり、自己実現であり、社会貢献であり、命懸けで取り組むべき「仕事」だったのだろう。

それは、だれでもそうだから。

オーストラリアの森林火災の燃えさかる火の海の中で、消火活動を続けて、火に取り囲まれ、逃げ場を失って死んでいった地元の消防士も、USAから支援に入って森林の中で帰らぬ人となった消防士も、彼らのミッションは、森林火災を家の前で止めることだったから、「命がけで」仕事に取り組んだ。

わたしも、大学での教育背景があって、製薬企業での R&D プロジェクトの仕事というものは、患者の命のために「命がけで」取り組む仕事だった。

ある程度、正しい教育訓練を受けた人たちは、みんな、そうだから。

ただ、わたしは、このブライアン・メイを中心に作詞作曲された曲よりも、フレディ・マーキュリーの作詞作曲の曲調と、優しい慈悲深い真面目なメッセージのほうが好き。

仕事に生き生きと取り組むことは大事ですし、「命がけ」で仕事に取り組むという自覚がどうしても必要な仕事はある。

業務上の性質として、命がけになる必要がある場合はある。そこは、適性で分別しなければいけない。インセンティブとしての待遇と責任の所在を配慮しなければ成り立たない分野は、社会での役割としてはある。

でも、健康を優先することは何よりも大事ですし、こと、芸術家に限って言うと、「命がけの仕事」は、まず健康第一でやってほしいものです。

フレディ・マーキュリーは、周りに気を遣うというか、社会性が高いコンピテンシーのある人で、1980年代 - 1990年代のヘルスリテラシーの時代背景もあって、過労死ラインを超えてしまうタイプのプロフィールの人なので、難しいところだけれど、

どちらかというと、

"The Show Must Go On"

とか、言ってあげてはだめなタイプなの。

理知的でユーモアのある性質の本人的には、ナイーブな強迫観念は出にくいタイプかもしれないけれど、こういった強迫観念を押し付ける言い方をしてはいけない。

状況によっては、1980年代 - 1990年代の背景だと、銀行員とか、官僚とかだと、自殺者が出るパターンです。

芸術であるミュージックを批判しているのではないのですが、そのメッセージ性から、何とはなしにそう考えた。

しかし、医療というものは進歩するものだなと思う。

1980年代当時、大学での卒論のための指導をしていただいた教室の教授は、学部長も兼任されていて、さらに、製薬企業との提携や、新しい分野の学会の創設など、非常に多方面で活躍されていて、教室の運営もまた完ぺきにこなす凄いタレントの先生だったのですが、その一方で、ヘビースモーカーである一面があって、当時はそんなものだった。

当時4年生であるわたしたち学生や、教室の修士や博士、助手の先生、その他、大勢が集まるミーティングが開かれると、小さなセミナー室は、ごついおじさんたちである半数以上が吸うタバコの煙でどんよりと曇っていて、対面に座って居る人の顔が霞んで見えないほどだった。

今の社会情勢では、これは受動喫煙といって、民事訴訟になる類のことですが、当時は、薬学部の薬物毒性学を扱う教室なのに、当たり前だったのです。

その教授は、多忙なうえに、みんなから頼りにされるとすべての仕事を受け持ってやってしまうので、当然過労気味だったのだろうと思うのですが、わたしが無事大学を出て製薬企業に就職して、数年後に、仕事中に心筋梗塞を発症して、亡くなりました。

先生は、「3年間は、何があっても頑張って仕事をしなさい。そして、続けるにしても止めるにしても、3年たったら相談に来なさい。」とおっしゃっていました。それなのに、突然の死でした。

まだ、お若かったのだろうと思います。まだまだ、活躍するはずだった。

当時、すでに科学的には、喫煙と心疾患との関連は示唆されていました。また、そういった毒性学をご専門にされていた先生なので、たばこと心筋梗塞との相関について科学的には理解されていたに違いありません。

それでも、ヘビースモーカーのままでしたし、誰もそんなことは気にしなかった。1980年代から1990年にかけての時代の雰囲気は、まだ、そんなものでした。

そして、1980年代は、新興感染症であるHIV感染症が初めてヒトで確認され、治療薬の開発が始まった時期でもあります。

人類のヘルスリテラシーは、主に医薬品のR&Dによる新薬の開発と上市によって、1990年から2000年を超えて、著しく進歩しました。

医療における科学の進歩というのは、早い。

時代を振り返れば、1990年から2020年に至るこの時代は、より長く健康でいれば、危機に直面したときに、より医療の助けを受けられる確率が高まるという時代でもあったのです。

まず、第一優先で、「生きていること」で、医療と科学の進歩を享受できたのです。

これからの時代もそういう時代かというと、それは、地球環境のフェーズが地球規模で変わったので、優先順位がやや変わってきましたが、科学と医療の進歩は、これからも人類への貢献度という意味では大きな位置を占めていく。

医薬品の開発や、医療の臨床を目指す人は多いと思うけれど、そのミッションの自覚は本当に大事で、そして、ある局面で、命がけで仕事に取り組むことは必要ですが、責任の所在の明確化と、インセンティブへの配慮と、安全の確保が第一優先です。

他人や身近なひとに対して、覚悟を要求してはいけないんです。

ヘルスリテラシーはあるとないとでは大きな違いがある。

標準化され最適化された最新のヘルスリテラシーをどれだけの多くの人が教育訓練の中でより深く理解するかは、公衆衛生の要でしょう。

なんか、まとまりのない雑文になってしまったなー。

__________

測量船|
三好達治

パン


パンをつれて、愛犬のパンザをつれて
私は曇り日の海へ行く

パン、脚の短い私のサンチョパンザよ
どうしたんだ、どうしてそんなに嚏(くさめ)をするんだ

パン、これが海だ
海がお前に楽しいか、それとも情けないのか

パン、海と私とは肖にてゐるか
肖てゐると思ふなら、もう一度嚏をしてみろ

パンはあちらへ行つた、そして首をふつて嚏をした
木立の中の扶養院から、ラディオの喘息持ちのお談議が聞える

私は崖に立つて、候兵(ものみ)のやうにぼんやりしてゐた
海、古い小さな海よ、人はお前に身を投げる、私はお前を眺めてゐる

追憶は帰つてくるか、雲と雲との間から
恐らくは万事休矣、かうして歌も種切れだ

汽船が滑つてゆく、汽船が流れてゆく
艫(とも)を見せて、それは私の帽子のやうだ

私は帽子をま深にする
さあ帰らう、パン

私のサンチョパンザよ、お前のその短い脚で、もつと貴族的に歩くのだ
さうだ首をあげて、さう尻尾もあげて

あわてものの蟹が、運河の水門から滑つて落ちた
その水音が気に入つた、――腹をたてるな、パン、あれが批評だよ

出典:青空文庫 測量船 三好達治
https://www.aozora.gr.jp/cards/001749/files/55797_55505.html

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おわり。

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