見出し画像

転職5回。もがき苦しんだ人生の先に見つけた僕の在り方。

こんにちは。まつだです。
今までの人生の振り返り。色んなことがありました。

社会人6年目で7社経験(2社は創業)。引っ越し回数12回。東京→北海道の孤島→マレーシア→大阪→東京で働く経験。鬱手前まで精神を崩した経験。社会人1年目でクレジットカードで約100万円自己投資した経験。トライアンドエラーを繰り返してエラーばっかりだった経験。

そして、2019年7月に株式会社GOAL-B設立から1年3ヶ月間のCOOとしてもがいてきた経験。2020年7月に妻と合同会社Co-Circusを設立し、CEOという苦手な立場になり、さらにもがいている現在。(常に、楽しく苦しみ続けてます。笑)

これは、ほとんど社会人になってからのこと。
学生時代はただの中途半端のイキリ学生だったので、簡単に触れて、その後に社会人になってからのことを書いていきます。

1993年2月 誕生

奈良県にて生誕。男の子。ド田舎。水瓶座のAB型(変な人が多いらしい)。

1999年 小学校入学

小学校区内にコンビニ1個、学年で22人。あだ名は、まーくん、お猿さん、ノッチ(芸人)。ずっと口が空いている(今でも治りません。笑)、わんぱく小僧。まるこめ坊主で、親から頭悪い子と思われてたらしい。笑

調子乗りだが、自主性はあまりなく、習い事(水泳、サッカー、柔道、習字、英会話、ピアノ、塾)は全て姉弟の影響で始める。継続できたのは、水泳とサッカー。習字は教室に行って寝転んでグタグタ言ってるくそガキだった。

2005年 中学校入学

超不良中学校。少年院に入る生徒が学年に数人。あと、怖い先輩がいっぱいいた。怖い先輩に強引に誘われ、サッカー部へ入部。
小学生ではロクにサッカーをしておらず、僕はめちゃくちゃ下手くそ。でも目立ちたい(皆んなと同じ土俵に立ちたくなかった)から中学校からは、キーパーを選んだ(身長138cm)。3年間、敵チームのシュートが、何度もゴールネットを揺らした。

一方で勉強ができたらしい。家族はもちろん、自分も知らなかったが、中学最初のテストで473点/500点。学年1番だった。それで自分の居場所(キャラ)ができた。とにかく何でも下ネタに繋げる下ネタ製造機としても、中学ではウケが良かった。

中学1年生のときに両親が離婚したが、自分にとっては大きな影響はなかった。(父親という力の強い存在が家庭にいないという、環境要因での影響はあったと思う)

2008年 奈良県立郡山高校入学

中学で1番だった学力は何処へ。入学して最初のテストで、350位/480位くらいの成績で先生をがっかりさせた。その後も改善は見られず、好きな教科だけ勉強する。赤点もそれなりに積み上げて、補修も受けた。センター試験は、古文が11点/50点など苦手分野は悲惨。

一方、高校では、サッカーが一番の思い出。
中学時代、超下手くそで、高校ではやらないつもりでいた。でも、また友達に誘われて体験入部に行き、名前を書いて流れで入部。(自分の意思はないんかい。。)

中学校でやっていたキーパーが下手くそだったので、もう一度情けない思いをするのが嫌で、今度はサイドバックへ。もちろん下手。しかも周りが上手い。同学年の部員の半分が中学生の時にキャプテンだった。正直辛かった。練習の時も、ボール持ったらすぐチャンスって思われて、取られる。めちゃくちゃ悔しかった。悔しいまま1年サイドバックで頑張った。

1年後、先輩が引退。そして、キーパーが足りないと。キャプテンから、「松田、キーパー頼むわ。」その一言で、キーパーへ再転向。自分自身は内心、すごくワクワクしていた。でも、この告白をみんなにする時、本当に怖かった。「逃げよったな。」と思われるのが怖かった。

実際、みんなの真意は分からなかったが、ゴールキーパーに転向した。この時、身長は相変わらず160cmくらいだったが、1年間サイドバックとして走り込んで、身体が出来ていた(筋トレも、他の部員よりも積極的に取り組んでいた)。すると、中学生の時に教え込まれた経験が、驚くように花開いた。

卒業式の色紙にこれ以外の内容が書かれないという程の、驚くべき身体能力とキャッチングセンス。

「自分にはこんな可能性があったんだ!」と心から嬉しかった。自分だけにしか発揮できない個性と才能を持って、チームで協力し合うことで、しっかり戦えた。この経験が、私の宝です。

結局、キーパー転向後は、レギュラーで出場することが出来、母校サッカー部史上初となる、奈良県1部リーグで優勝し、関西リーグにも出場。もちろん、どのチームのキーパーよりも小さい。ガンバ大阪のユースの選手からも、「あのチビキーパーやばい、めちゃくちゃ上手いぞ。」と言って貰えてたみたい。それが、すごく誇らしかった。が、結局、関西リーグではチームは一勝もできなかった。

2011年 大阪市立大学 入学

高校生の頃、お菓子作りにハマり、将来は明治製菓で働きたくて、食品栄養科学科に入学。女の子ばっかり。男は3人/35人中。楽しかった。
もうサッカーはいいと思い、アイスホッケー部に入部。ただ、留年率と部費の高さを知り、3ヶ月で退部。

その後はバレーボールサークルへ。キラキラした大学生活。サークルの代表も経験し、楽しい4年間でした。
・無人島でサバイバル

・青春18切符とキックボードで北海道旅

・就活で東京までヒッチハイク

・ニュージーランドに1ヶ月留学

・ヨーロッパ旅行

など楽しいことばっかり。(奨学金を借りて遊んでおり、ツケが回ってきている。。)

ただ、就職活動。
こんな甘ったれた人生送ってきたら、自分に軸が無い。しかも調子乗り。研究不足。自信過剰。今思い返すと可愛いけど、本当にしょーもない学生。選考前のグループワーク?で調子乗るだけで、会社も全然受けず、第一志望にも落ち、結局、食品メーカーに就職することに。

2015年 社会人1年目 東京

法人営業。当時の上司が社会人の基礎を叩き込んでくれた。心より感謝。毎日のように2時間くらい立たされて詰められてたのは、愛を感じたけどさすがに辛かった。(上司のおかげで新入社員で1番に案件を決める、約2億の売上を持って前年度比約120%など、偶発的なラッキーも重なりながら嬉しいこともあった)

ただ、入社半年たったくらいに、他にやりたいことが出来始め、すごく楽しくイキイキ出勤してた会社が、精神的な負担になるようになっていき、入社一年頃には適応障害という鬱の手前の病気になった。

朝早くに会社の前についても、中に入れずに近くの公園に行ってタバコを7本くらい連続で吸ってから出社したり、営業先から会社に戻る途中、駅のトイレで吐いたりしてた。

ただ、自分で稼げるようになる為に、家に帰ってから毎日3時間くらいネットビジネスの勉強し、半年で50冊本を読んだ。会社を辞める数ヶ月前には、40万円くらいするビジネス塾に2つ入り、80万円以上の自己投資。教材も買って、コンサルも依頼してせどりもしたし、ブログを開設していっぱい記事を書いた。ただ、全然上手くいかなかった。

でも、少しでも自分の力でお金を稼げたことで、「相手に価値を生み出せた時にお金という価値が生まれる」ということを学ぶことができた。

2016年 社会人2年目 北海道→マレーシア→奈良

約半年間の交渉の末、1社目の食品メーカーを退職。辞めたものの、お金がない。とりあえず働かねば。そうだ、ネットビジネスならどこでもできる。北海道好きだ。ウニが好きだ。北海道行こう!そんな決め方で、リゾートバイトで北海道へ。

ほとんど毎日5時に起きて、ホテルの清掃やレストランスタッフとして働きながら、美容系のメディアの記事を書きまくる。毎日書いた。本当に正しい情報か分からないことも書いていたかもしれない。でも、いっぱい本買って、いっぱいインプットして、いっぱい書いた。

ただ、その時の頑張りを見ていて頂いた方のご縁でマレーシアへインターンへ行けることに。北海道で過ごした4ヶ月の間に鬱っぽい感じもある程度、抜けた。4ヶ月のリゾートバイトが終わり、マレーシアへ。

そこでは、オウンドメディアのコンサルの業務をしていた。SEOについてはかなり詳しくなったが、コンサル生(受講者)の成果を爆発的には伸ばせなかった。全員副業で取り組んでおり、月数万円くらい稼げていた人も結局途中で辞めてしまった。悔しいし、申し訳なかった。

時間もお金も目一杯、自己投資したのに成果が出なかった。貯金なんてもちろんゼロ。帰国して、失業保険を受けながら、実家でしばらくダラダラしていた。投げやりになり、長いあご髭を蓄えて、完全に変なOBとして、大学のサークルにまた遊びに行ったりしていた。

人生は思った通りに行かないんだな〜。って思った。(仙人になりたくて、髭と髪を伸ばしていた。気持ち悪かったけど、よく家族も友達も見守ってくれた。本当にありがとう。)


2017年 社会人3年目 再就職&ルームシェア

SEOの知識を活かして、ハローワーク経由で中小企業へ就職(約20サイトのSEO対策とリスティング広告の運用、LINE@の運用、採用、育成など)。と同時に、大学のサークルの先輩と後輩とルームシェアを開始。

ルームシェア、めちゃくちゃ楽しかった。人生でこの期間があって良かったと心の底から思える。めちゃくちゃ楽しかった。それまでの生真面目な人生にはなかった、「娯楽」というものを心から楽しんだ。仕事から帰って、毎日ウォーターボーイズやウシジマくん、バチェラーやテラスハウスを見て、ケラケラ笑っていた。

この楽しい時期を半年ほど存分に堪能し、また自己啓発行動を増やした。ほぼ定時で帰れたので、退社後はコワーキングスペースに行って、ブログを更新したり勉強していていた。

この時、色んなセミナーにも参加していて、MLM系の組織での勉強会にも頻繁に参加した。優秀で良い人ばっかりだったけど、やっぱり自分には合わないので、入会せず、そこを去った。けど、本当に色んな勉強をさせて貰えたし、今でも当時教えて頂いた知識が生きている。

同時にAKIOともう1人高校の友達を誘って、問題解決思考を鍛えるためのワークショップを始めた。大前研一さんの大学院で実際に行われている授業を真似た。
「もしも、あなたがCEO(最高責任者)だったら?」という本の中のテーマを実際に使用して、パワーポイントでまとめ、毎週発表し、お互い採点する。

これを10週間連続で行った。
情報を集め、自分がCEOだったら、何が課題と認識して、どう解決していくか。それを毎週パワポでアウトプットしてプレゼンしていると、なんとなく賢くなった気はした。

この年も、練習ばっかりの1年でした。投資の勉強も英会話もビリヤードも色々やろうとして、全然優先順位とか考えてなかった。

その他にも、AKIOと高校の友人としゅくろーさんと4人で、「男を上げる」というダサい恋愛系WEBサイトを立ち上げたりもしていた。マッチングアプリなどでの恋愛体験などをもとに、みんな数記事書いただけで辞めたけど、良い思い出。そこにいたAKIOとしゅくろーさんが数万人規模のYoutuberになってると思ったら感慨深い。


2018年 社会人4年目 人生が動き出す

働いている会社に規模感や業務内容に限界を感じ、中小企業のWEB担当を退職し、総合広告代理店へ転職。給料が年収100万円上がった。嬉しかった。新しいことばっかり。案件も桁が変わって、楽しかった。こんなクリエイティブな世界があるんだな、と思っていた。

そんなとき、AKIOから6月に突然「一緒にビジネスやろう」と誘いがあり、GOAL-Bの卵「AKIO Online Personal Traning」(現:GOAL-B オンラインパーソナル)が始まった。


最初は本当に思考錯誤、とりあえずやってみる。ただそれだけ。AKIOが急に告知して、人が数名集まって、サービス開始して、どんどんサービス内容を改善していく。

でも、私の本業(広告代理店)の残業100時間オーバー。会社に泊まったり、相当ボロボロな働き方をしていて、まともにAKIOと打ち合わせが出来なくなったこともあった。これはやばいと思い、業務改善をして、残業を40時間くらいまで減らすことができ、会社の近くに引っ越しをすることも決意。

その時、AKIOは、「絶対に同じマンションに来るように」、何度も説得を受けた。家賃が高いからすごく悩んだが、それが人生を進めるためのお金なら良いと自分を納得させて、2月に同じマンションに引っ越した。

そして、そこからAKIOと会いMTGする頻度がめちゃくちゃ増えた。
会う頻度が増え、楽しいが、実際は人生が大きく進むような感じではなかった。AKIO Online Personal Traningを粛々と進めていた。

ただ、変わったのが、AKIOがコーチングと出会ってから。
この頃から、AKIOの行動力がめちゃくちゃ増えた。毎朝カフェに行くようになった。そして、朝活を継続するために、インスタに毎日公開するようになった。

それでも、中々すぐには思った現実にはならない。その理由はなんだろうと話した。その結論が「目標と行動の振り返りが出来ていない」から、正しい方向性に進めていない、と。

そして、2人で決めた。
「”絶対に”毎週土日で会って、2人で振り返りの報告をしよう」と。これが、大成功。

どんどんAKIOの目標に向けて進んでいった。そして、この習慣こそが「目標達成会議」。約1年間、述べ40~50名のメンバーが参加した、月額1万円の目標達成コミュニティとして運営した。(2020年6月に、はなやさんに事業譲渡をしている。)

2019年 社会人5年目 4~8月 GOAL-B設立

AKIOとは相変わらず毎週会って、オンラインパーソナルのサービス改善や目標に向けて話していた。カラダが変わった先は何を目指すのか。なぜ、クライアントはカラダを変えたいと思っているのかなどを考え、中間アンケートや、初期のヒヤリングシート(GOAL設定含む)などを実施していた。

また、AKIOが会社を辞めるかどうかなどの相談も何度かしていた。
そんな時、AKIOに最強のインパクトを与えてくれた人がいる。茨城県からわざわざ有給をとって大阪にいるAKIOに会いに来て「会社員を辞めないで欲しい、サラリーマンの希望の星でいて欲しい」と言ってくれた。

その後、
AKIOBLOGのルーティン動画が始まった。
ここから、人生が激変。AKIOのルーティン動画がバズり、クライアントが爆増。そして、AKIOコーチングが始まる。

当時の私の役割は毎週AKIOと会って、より前へ進めるためにはどうするべきか、話すこと。管理栄養士としてのクライアントへの食事のフィードバック。そして、私もコーチングの勉強を始め、練習として友人や後輩にセッションを受けて貰った。

そして、6月に元AKIOコーチングのクライアントのなぎらさんがトレーニング事業に参画。そして、ほぼ全てのオンラインパーソナルの実務をなぎらさんへ委任。トレーナーとしても選手としても一流のなぎらたけしのサービスの質は最高。その後サービス内容もどんどん改善されている。

また、この頃、メンバー内で「株式会社にしよう!」という軽いノリで、会社が設立された。手続きを全部、愛美ちゃん(AKIOの妹)に任せていて、設立日は2週間後くらいに聞かされた。AKIOも知らなかった。そんな始まり。2019年7月3日。

社名はAKIOと2人で僕の部屋で考えた。
GOAL-B(Bは在り方のBeを意味する)というシンプルでパワフルな社名になった。ノリでTシャツも作った。

そして、メンバー全員でお盆に集まって、1日中会議室を借りてGOAL-Bの基本理念「全ての人に、可能がある。」が決定。


この頃の私の役割は、とにかく会社としてどうあるべきか、AKIOに言い続けること。会社として重要な事(税理士、弁護士、経営のお金、規約、表記など)や、GOAL-Bが大切にするもの(ビジョンの重要性、サービス内容、クライアント管理、満足度の向上など)。

これらが少し落ち着いてから、少しずつ、自分の時間が取れるようになってきた。(このときは、AKIOも私もなぎらも全員副業だったので、1日数時間程度)。まずは、自分に才能があると感じていたコーチングの分野で価値を提供するために、noteで目標の設定と振り返りの方法の図解を出した。それと同時に有料でコーチングを本格的に開始。

(当時、書いたnote)

2019年 社会人5年目 9~12月 様々なチャレンジ

イベント会場の方からAKIOへお声掛け頂き、9月にAKIOと共に初めてのコーチングイベントを開催。約30名でのワークショップ。事前に練習会を10名程集まって頂いてリハーサルを行ったこともあり、大成功。そして、11月に東京での実施を決意した。

そこから11月の開催へ向けてアジェンダも相当時間を掛けて作成し、プロからフィードバック頂き、何度も修正し、仕事に行く前の早朝6:30とかに集合して、模擬練習もした。

11月のイベントは丸1日(約7時間)のワークショップを2日間連続で開催し、約40名の方のご参加頂き、こちらも大成功。(ただし、その後に色々あり、有給を取ってAKIOと2人で東京へ謝罪しにいくなど、教訓になることもあった)

10月には、「松田とガチンコダイエット対決」という企画を開催。視聴者巻き込み型(応援など)の企画によるボディメイク事業の認知拡大と、「松田が意外とコミットする奴」だと認知して頂く目的だったが、こちらも大成功。

挑戦者全員の劇的なビフォーアフター。(私は2ヶ月で9kg減量しました)カラダだけでない、マインドの変化により、挑戦者の5名皆さんが、現在様々な分野でご活躍されている。

11月には、目標達成会議の規模を拡大。元々6人程度で開催していたが、この頃から常時20名前後のコミュニティとなり、私一人で運営する形となり、事業譲渡までに、ファシリテーターを100回以上経験させて頂いた。

12月は、年末振り返り&2020年の目標設定イベントを行い、30名(15名×2日間)の参加者と、共に自分の軸作りをテーマにして実施しました。

と同時に、この期間(9月~12月)は、コーチングの継続クライアントも20名程、併走させて頂いた。

この頃は、まだ副業で、本当に体調も時間も綱渡りでした。(そして、ワンルームで同棲していた彼女(現在の妻)には、相当な負担を掛けてしまい、2日に1回くらいのペースで喧嘩もしていた。)

本当に楽しかったけど、苦しい時期だった。何よりも、自分のやりたいことを優先して、パートナーを傷つけていたことが悔しかったし、情けなかったし、ダサかった。本当に自分は何をやっているんだろう。そして、何のために事業をやっているのか分からなくなる時も正直あった。

でも、目の前にいるクライアントに目を向け、その瞬間瞬間を大切にする。それだけを考えて、とにかくガムシャラに進んだ。

2020年 1月 広告代理店を退職

12月末で、ついに広告代理店を退職し、GOAL-Bに専念。時間が出来て、心に初めて余白ができた。

そして、新サービス「経営者コミュニティ×コーチング」を打ち出したが、申込みは0件。自分の実力の無さを思い知らされた。と同時に不安も湧き出てきた。このまま、本当に大丈夫だろうか。売上はきちんと立つのか。今までの勢いは一過性のものじゃなかっただろうか。

そんなとき、AKIOは一言「違う形で売上作ればいいやん」と言ってくれた。この一言に救われ、Twitterの発信に注力し、とにかく自分が提供出来る価値を考えて発信し続けた結果、コーチングのお申込を多数頂き、目標達成会議と合わせて、個人の数字として100万円の売上となった。

1月は、もう一つ、大きなトピックがあり、株式会社GOAL-Bの初となるMISSON『人の進化をつくる』が策定された。

時間と思考に余白ができ、私に出来ること、すべきことは何か考えていると、「GOAL-Bはこのままでいいのか?」と疑問を持ち、「GOAL-Bのブランディング構築」が必要だと結論付け、すぐにMTGを開き、メンバー全員で作った。(現在のMISSONは、更新され『挑戦をつくる』である)

この1ヶ月は、GOAL-BのNo.2としてのサポート的な役割でなく、最高執行責任者としての役割や、プレイヤーとしての実力が必要だと強く感じた。

2020年 2月 GOAL-Bコーチングの再構築

そして、自分の役割や、会社のMISSONができたことにより、まず実施したのが、『GOAL-Bコーチングの再構築』。

この業務が、今までの人生で1.2を争う苦しさだった(当時の自分が未熟だったことが原因)。精神的に疲れすぎて、運転中に車を擦ってしまったり、道で歩いている人を無条件に殴りたくなる程、荒んでいた日もあった。(肌も荒れていたなぁ)

GOAL-Bコーチング再構築の目的は『全ての人に可能性がある』という基本理念(VALUE)だけで走ってきたGOAL-Bコーチングを『人の進化をつくる』というMISSONを追加したサービスへアップデートすること。

実際には、コーチングの単価を上げ、よりプロフェッショナルなコーチとして『人の進化をつくる』を実現させるための、文化形成・サービス内容の統一化・報酬制度の改定・コーチに求める条件作り、などを実施した。

その結果、業務委託だったパートナーコーチが10名から2名になった。

GOAL-B側の勝手な方針変更と、一方的な取り組みだったため、かつ10名のコーチそれぞれのご意見や想い・ビジョンがあったため、すぐに納得して頂くことは難しく、何度も何度も話し合い、何度も修正した。

約2ヶ月に渡る話し合いになったが、結局自分たちがこだわりたいところだけは、こだわり抜いた。この経験により、人と別れる辛さや大変さ、自分の未熟さを痛感したと共に、人間として本当に大きく成長できた。

2020年 3~9月 メンバーの増員

コーチの人数が減り、コンパクトになったGOAL-Bだったが、ビジョンや信念の色濃いメンバーが残った。そして、3月に新たに2名社員を採用。ピンキー前野(現フィットネス事業部関西責任者)と山宮健太朗(コーチング事業責任者)。

そして、6月に古川誠(コーチ)、8月にマンティ福原(現代表トレーナー)、ステイサム安慶名(現名古屋ジム責任者)が社員となった。9月には、長畑遼(現フィットネス事業責任者)が入社し、モリタジュンタロウさんとパートナーコーチとして契約。

現在10月7日時点で、コアメンバー10名+パートナーコーチ3名となり、名古屋ジムのスタッフとしてさらに4名の総勢17名となりました。(11月にさらに2名社員が増えます)

この半年間は、
・VISSONの更新
・経営計画の策定
・事業責任者への求める役割づくりと委任
・KPIの策定、ビジネスリテラシー向上
・コロナ対策&売上UP
・名古屋ジム設立
・GOAL-Bコーチング再構築(認知科学を主軸)
・HP制作
・社内相互理解研修
・メンバー全員の1 on 1
・給与と報酬制度づくり
・会議体の変更
・コーチングスクール受講
・システムコーチング基礎コース受講
・経営者向けコーチング開始
・東京への引越し
・新会社Co-Circusの設立

など、本当に3年分くらいは生きた。

この濃い半年間についての詳細は、あまりにも量が多いので、また別のnoteを作成することにします。

本当に、今まで、楽しんだり、苦しんだり、笑ったり、ダラダラしたり、号泣したり、精神病んだりと、豊かな人生を送れてきているな〜と思います。

それは、全て、今まで私たちと関わって頂いた方のおかげなんだということが、お恥ずかしながら、ようやくこの半年で気付き始めることができました。

これからも挑戦を続け、たくさんの方に支えて頂くことになると思います。だからこそ、私たちは、この社会を、この世界をもっと良くするために命を使っていきます。

長文、最後までご覧頂き、誠に有難う御座いました。





ーーーーーーーーー
【寺田SNS】
Twitter:https://twitter.com/terada_CoCircus
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCt09mWFlfc8pO81U17XeI_g

【合同会社 Co-Circus】
https://www.co-circus.com/
ーーーーーーーーーー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?