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【挫折のプロになろう】失敗できるって、最高にしあわせだ。【受験・就活・就職】

どうも中国大連在住の変な日本人、松永瑞紀です。自称挫折のプロ。29年間沢山折れて落ちてはい上がって生きてきました。そんな挫折専門家の私の体験談をお伝えします。

いろんなすり傷を作ってきた中で、わかったことがあります。挫折が怖い人や、今挫折している人に、聞いて欲しい。

失敗は成功よりずっと大切な経験。

今、アナタめちゃくちゃいい経験してますから。

ではここから私の3つの挫折経験と、そこから学んだことをお伝えします。(トップ画は最近一皮むけた時の笑顔)

まず最初の大きな挫折は大学受験失敗。小学生まで勉強が得意な子どもで、中高一貫校に合格し、受験勉強に励み玉砕。志望校不合格。それが私の人生で最初の大きな挫折でした。

2つめは就活失敗。中国留学で中国語が急に上達したので天狗になっていた部分があり、就職試験に落ちまくりました。

3つめは就職失敗。最初に内定が出た会社にすぐ就職を決めましたが、びっくりするほど私には合わない仕事でした。

どの挫折においても言えるのは、後になって振り返ると素晴らしい経験ができたということです。

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1つめの話。「割と」勉強ができる子どもだったので、中高一貫の進学校に進みました。周りは「ものすごく」できる子ばかりでした。自分が平凡なのだと知ったのはショックでした。それも小さな挫折だったかもしれません。でも頑張れば何とかなると思っていたので6年間そこそこ頑張りました。

受験。選んだのは大阪大学の外国語学部。頑張ったけれど、不合格でした。努力が報われないことがあると知りました。頑張れば夢が叶うなんて、嘘じゃないか!と投げやりになりました。

前期試験で不合格が決まり、浪人しようと覚悟しつつ後期試験は記念受験!的な気持ちで、地元京都から遠く離れた福岡県の北九州市立大学の外国語学部を受験しました。

それが私の母校。大好きな北九大。

この大学で、生涯尊敬できる素晴らしい仲間や先生に出会いました。生涯打ち込める物事に巡り合いました。4年間最高の思い出を作りました。受験に失敗したおかげで。今でも北九大が大好きで、北九大で出会った全ての人や物事が掛け替えのない宝物です。受験の失敗を通して私は、選びたい道にすすめなくても、道は開けるのだと知りました。そして失敗は、本当に失敗だとは限らないと知りました。その後の行動次第で、失敗は成功のきっかけにできるのです。

母校には、私の他にも「第一志望不合格」の結果、進学した人が多くいました。感じたのは「挫折を乗り越えた人って、たくましいな」ということ。自分の失敗を認め、自分の中で昇華し、理想とは違う道を選ぶこと。その過程自体が人を強くする経験なのだと、そこで初めて気付きました。

今でも、阪大に行きたかったという悔しさはあります。でもあのタイミングで、大きく挫折しておいてよかったと思います。受験においてはもちろん、志望校に一発合格できることが一番の理想ですよ。でもそれがすべてじゃない。落ちたってそれで人生は終わらない。むしろそこからが始まりです。

志望校の偏差値ランクを下げたとしても、浪人を選んだとしても、叶わなかった夢が、人生の糧になるんです。

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2つめの就活の話。今でもよくやったなと思いますが、福岡県から全国へ就職活動に行くため3月から6月の3ヶ月間で夜行バスに合計23回乗りました。

もともと日本のモノづくりに興味がありメーカー志望でした。面接まで進むもののその先の結果に繋がらず、100社近く“お祈り”頂きました。挫折です。メンタルバッキバキ。粉砕骨折。

その後メーカー志望では上手くいかなかったので、それまで全く考えてもいなかったIT業界にエントリーし始めたところ、とても尊敬できる人事の方に出会い、なんとか合格。無事就職できました。

振り返ると、私の場合は「中国語が話せれば仕事はみつかる」という甘い考えと、「中国語を使う」ことが目的になってしまい、仕事で何をしたいのかを具体的に考えていなかったのが就活の敗因だったと思います。

あとは運です。ほんとに。就活なんて。人と人の出会いと同じ。優秀な人が直ぐに決まらないことも、優秀ではない人が決まっちゃうことも、ある。やるべき対策もノウハウもあるかもしれないけど、それをやれば絶対に成功するというものでは無いと思います。辛かったけど、思い詰める必要はなかったなと思います。

就活が上手くいかなかったことで、改めて自分を俯瞰し、見つめ直すことができました。もしすぐに就活が決まっていたら、天狗のまま社会人になってしまっていたと思います。だからこれも、いい経験。

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3つめは就職。全く未経験のIT企業。文系の私が配属されたのは開発職。

結論、開発職が全然合わなかったです。朝から晩までパソコンと対話するお仕事。プログラミング言語を入力し、動作テストして、システムを作るお仕事。

アカーン!人と話したい!外に出たい!ワァー!!!

ということで4年弱で退職しました。そう、入社してすぐに合わないと気付いていながらも、4年弱にわたり働き続けました。資格の勉強も頑張り、3つくらい専門資格を取得しました。気の合う同期に恵まれ、事あるごとに集まっていました。渋谷のハロウィン。新宿のラブホ女子会。秩父のフィールドアスレチック。気さくな先輩と新橋の立ち飲み屋で飲んだのもいい思い出。共通の趣味で新しい友人も増えました。仕事は辛かったけど、悪い事ばかりではなかったです。むしろ東京にはいい印象しかない。(いや言いすぎました、満員電車は苦痛でした。)

ITの仕事で私が学んだのは合わない仕事でも、働くことはできるということ。やりたくないことの中にも、面白さは見つけられるんです。スッゲーやりたくない仕事をやった経験を通して、人生なんとかなるもんだ!という強さを手に入れました。今では開発職なんてやってたっけ?というレベルでプログラミングもほとんど忘れてしまいましたが、パソコン操作は今も得意です。この会社で働いた経験も、いい経験だった。

とはいえ退職するまでの間に、仕事が嫌で自己嫌悪になったり、自分は社会不適合者なんじゃないかと悩んだり、非常に辛い時期もありました。よくいい経験だったなんて言えるようになったと自分を褒めたいです。いやもう盛大に褒めて欲しい(突然溢れ出す自己顕示欲)。

もしも今仕事で辛くなっている人がいたら言いたい。本当に辛ければ、仕事は辞めていい。少し休んだっていい。世界は広い。日本だってその気になれば出られる。そして今の辛さが絶対に!絶対に!!あなたの人生の宝物になるから。大丈夫。

日本で転職した時の話はまた別の記事で書きます。

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これらの挫折の話を通して伝えたいのは、むしろ挫折ウェルカムでいてほしい、ということです。私はやらかしたなー!というときは失敗できた!めっちゃしあわせやん!?ハッピー!って思うようにしています。

大した挫折してないやんけ!というご意見、大歓迎。そんなアナタはずっと大変な思いをして、たくさんの成長をされてきたのだと思います。大きな拍手を送りたい。

日本も、私の住む中国も、どんどん若い人が失敗を恐れる社会になっていっている気がします。社会が豊かになり、みんながそこそこ成功者の時代。かすり傷程度の失敗さえ許されない。失敗することに対する柔軟さが失われていっているような。そしていちばん怖いのは、それまで挫折せずに生きてきた人が、大きな挫折で絶望してしまうこと。

一度若い時に失敗したり挫折を経験して立ち直っていれば、少なくともたった1回の挫折で人生を諦めたりしないで済むんじゃないかと思っています。

私は受験も就職も失敗したけど、今とっても幸せに生きています。現在進行形で挫折に悩んでいますが、次はどんな学びがあるんだろうとワクワクしています。

大きい声で言いたい。失敗したって大丈夫

みんな挫折のプロになろうぜ。

へこたれて、立ち直ればいい。

全部を自分の人生の糧にすればいい。

生きていれば、なんとかなるからさ!!!

愛してます。




サポートとても励みになります。自分の言葉で生きていけるように、試行錯誤しながら頑張ります。