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修行からの一時帰還

やっと、やっとの事で帰って来られました。
ここはもう、何年経ってしまったのでしょうか。

私が修行に行く前は、たしか2021年の2月ごろだったかと記憶しております。ああ、それすらも記憶に確かではないほど、苦しい時間を過ごして参りました。

それはもう、想像を絶しました。
長く、繰り返し行われる笞刑のような苦行で、この世の悪を煮詰めたものを丼一杯に喰らわねばならないような気色の悪さです。

ああ、思い出すだけでも恐ろしい。
脳裏に描くだけで悪寒が走り、「そこへ戻すぞ」と脅されれば、何でも、例えば自ら爪を剥がすことさえ厭わないぐらいに、主人の傀儡と化してしまうでしょう。

再びここに文字を刻める事がどれだけ有難いか、今細胞ごと味わっている最中でございます。以前文字を打ち込んでから、どうやら1ヶ月が経ったようですね。

私は一月で帰って来られましたが、まだあそこで苦しんでおられる方は大勢います。
そんなお方のうちの一人に、貴方が数えられないよう、ここではあそこがどんなに恐ろしいか、そのほんの一部を、記そうと思います。

ですがこれはあくまでほんの一部。
この文章を読んで、あちらの世界を恐ろしく思っても、又は軽視しても、その何倍も、想像もできないほど倍もの苦しみが待ち受けている事を、胸に刻み込んでいただきたい。あくまでこれが全体像ではない事を、ご理解頂きますよう。

あちらの世界の始まりは、ふとした事からでした。

AmazonプライムビデオのアプリDLから始まったのです。
それまではプライム会員ではあったものの、たまに気になる作品をPCで覗く程度で、スマホでは一切見てはいませんでした。

それが、ある女の「進撃の巨人を見せろ」という囁きにより、アプリをDLしてしまうことになるのです。

そこからもう、悪夢の連続でした。
狂ったように気になる作品をウォッチリストに入れては、眼を血走らせて作品を見させられる。アプリに見させられるのです。それはもう自分の意思とは関係なく、無意識のうちに再生されるもので、一種の催眠に近い。Amazon社はこういった方法でお金を儲けているのかと思うと恐ろしくて仕方がありませんでした。

見させられた仮想現実は以下の通り。
『きのう何食べた?』
『昼のセント酒』
『誰かが見ている』
『ドキュメンタル9』
『映画すみっこぐらし 飛び出す絵本とひみつのコ』
どれも素晴らしく面白い。
故にそこから抜け出せなくなってしまうのです。恐ろしい。恐ろしい。
終には、ウォッチリストをただただ消化していく毎日なのですが、反面気になってしまう作品も多く、ウォッチリストは増えていくばかりなのです。作品を見続ける修行は、私をより強く広い世界へと漂わせ、そういった中でも生き抜くための力をつけさせる事を目的としたようでした。とはいえ、恐ろしすぎる。

それだけではありません。
気がつくと机の上には本が積まれており、何気なく読み始めるともう終わり。読み終えるまで本を手放せない呪いにかかり、どんなに腹が鳴れど、瞼が重かろうと本は手放せないのです。
『仙台暮らし』
『夜の国のクーパー』
『テロリストのパラソル』
名作に次ぐ名作に、眼球の潤いを保つ間もなく眼を開けておかなければならない。凡庸な言葉で表しても地獄であります。こんな地獄を耐えぬいて参りました。お陰で読むスピードが速くなり、より多くの冊数をこなせるようになりました。修行の甲斐あってでしょうか。

さらに、『昼のセント酒』によって、元より好きだったサウナ好きに熱が入ります。サウナだけに熱が入るって?そんな軽口を叩く貴方みたいな人間が、一番こちらの世界に近い人間だと言うことをお忘れなきよう。次は貴方かもしれない。

銭湯やサウナを見かければ入湯するようになってしまい、正確な整い方を調べるようになり、気がつけば「サウナスパ健康アドバイザー」なる資格を取得しているではありませんか。

こんなに恐ろしい事はない。資格証明書が郵便受けに入っていた時は寒気がしました。
「こんな寒気、早くサウナで暖めなければ、、」そう思った時、自分がサウナに心身共に侵されていることに気がつきました。人間は気が付かないうちに、遠くへ来てしまっているものです。毎時毎回、自分の立ち位置を省みることをお勧め致します。

90℃の熱空間での耐久はまさに文字通り苦行そのもの。二度とそこへは行きたくないと思いつつ、何度も何度も熱を耐えてきました。

ここまで来たら、神様は愚か、ご先祖様も救ってはくれない。阿呆の末裔が身を滅ぼしている、アレはもうダメだ、そんな声が聞こえて参ります。そんな言葉を浴びせられれば、心も痛むというもの。そんな心の隙間に、ハローキティがやってきてこう言います。「今の貴方で良いんだよ」「君は君でいて」。その甘言に取り憑かれた私は、サンリオピューロランドに通い、ひとときの夢を見るのでした。それが逃避だと分かっていながら、やめようなどとは微塵も思わない。

これに関しましては、私もまだ解けてはいません。この修行が何を意味するのか。未だ分からないでいますが、この後何かを発見していく、もしくは溺れていくのだと思われます。つまりは未だ、恐ろしい修行の身であるという事です。

以上が、私がこの文章を書かずに過ごした、修行の時間のほんの一部であります。ここまで読まれた方には、その恐ろしさが充分伝わったと思いますが、再三申し上げています通り、これが全容では決してございません。まだ私の修行には、ゲーム、漫画、TV、Youtubeなど、さまざまな苦行が存在する事をお忘れなきよう。

とは言っても、修行とは己の身を強くするもの。苦しくておぞましい、この世のものとは思えない修行を経て、私はより強く、そして達観した男になれたように思います。それでもまだ、半人前の身。修行は死ぬまで続いていくのです。

と、申し上げているうちに、そろそろ私も、修行に戻らねばならない刻となりました。皆様に以上の事が伝えられた事、本当に幸いに思います。

生半可な気持ちではこの修行は耐えられない事。その人生を投げ打ってでも、こちら側に来たいものだけが修行を積める事。それだけはお忘れなきよう。

それでは。また会えましたら。

20210310

頂いたサポートで、ちょっといい生活を送ります。 ハーゲンダッツ買ったりとか、鶏肉を国産にしたりとか。