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記録って一番力の要る作業じゃないの

じゃない?
毎日を記録したいと思っている。
何かを起こしてはそれを記録する。
けど何かを起こし続けて生きているので
それが追いつかない。

「何かを起こす」と言っても、
そんなに大したことじゃない。
起きたとか、歯磨きしたとか
そんなこと。

そんなことを記録していくと
筆が追いつかないのだ。
俺はあまりに、いろいろを起こしすぎている。
さながら生けるインシデントメーカーだ。

じゃあ記録する次元を下げればいいじゃないか。俺もそう思う。

でも、記録のレベルを下げてしまったら、
あとで読み返した時に、
思い起こす再現度が
下がるんじゃないか。と思う。

それじゃあ、記録の意味がない。
とまではいかないけど、
鮮明に思い出せる、または、
鮮明に描き直せるぐらいには、
その日のヒントを書き起こしておきたい。

例えば今日「雷起こしを食べた」として、
おやつに食べたのか、
昼ごはんが少なくて食べたのか、
朝ごはんの代わりに食べたのか、
移動中の小腹を埋めるために食べたのか、
どう書き起こすかで、「雷起こし」の機能が変わる。思い起こし方も変わるのだ。

そんな微細な部分に、
大切なヒントが隠れているように思う。

ごくごくたまにnoteを読み返す。
まだ日記を始めて間もないので、
懐かしいなあとまでは思わないけど、
そんなこともあったなあと思い起こせる。
記憶を掘り起こしているみたいだ。

そして同時に、
読み返した時に何か思いつく時もある。
こんな曲を作ろうとか、
こんな話を書こうとか。
こんな気持ちを大切にしたいとか。
あの人にこんなことを連絡しようとか。
やはり蓄積して、書き起こすことが大切なのだと思う。

何も起きない日なんてない。
みんなは俺より生きている次元が高いので
今日は何にもしていないなんていうけれど
俺からすれば、起きて歯磨きしてテレビでも見たら十分「何か」は起きているのである。

しかし記録の次元を下げないと
続かないという本末転倒な問題がある。

日々の機微を書き起こし
そして記憶を掘り起こし
当時のことを思い起こし
そうしてアイデアを思い起こすために。

しかしそんなことよりもまず
体とやる気を起こせってか。

全くその通りだ。

こんな、noteが書けない言い訳をするぐらいなら、今日のことを書きなよ。

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7:00一旦起床。
布団ではなくソファーで寝ていたことに気付く。
体が痛いので布団に戻って二度寝。
11:00頃起きた。

最近はnoteをかけていなかったので
リズムが崩れてしまっている。

新百合で映画を見たり、
自由が丘へ行ったりしていた。
アンナチュラルというドラマを見切ったり
音楽の勉強をしたりしている。
音楽の勉強とソフトの勉強を同時進行しているので
今自分がどこにいるのかわからなくなる
が、音の上にも表現したいことがあるはず
楽しいのでやってみる

昨日詞を書いた曲を作ってみる
かなり難しい
理想の世界観を音として具現化するのは
本当に労力のいることだなあ。

大事なことは全部めんどくさい
らしい
めんどくさいことが大事なこと
なのか

とかいう今日はソフトの勉強をしていた
昨日三時間かけてできなかったことが
今日起動した瞬間にできた
本当に何かタイミングで溢れてやがる

そして好きなアーティストの曲を聞きながら
どうコードが進行しているか分析してたら
寝ちゃった。
音楽聞きながら何かをするのは寝ちゃう

起きて18:30。
noteをかく。
文字を久しく紡いでいなかったけど
やっぱりこれは楽しいし
余計なことを考えなくて良いので
都合がいい
書く人は書くのだ

洗濯物を干した
ハンガーが足りない
ハンガーっていっつも足りないよね

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20200916

〈食事〉
朝:グラノーラ
昼:忘れた、
夜:そぼろ丼

〈エンタメ〉
のだめカンタービレ

頂いたサポートで、ちょっといい生活を送ります。 ハーゲンダッツ買ったりとか、鶏肉を国産にしたりとか。