「みんなにとっては滑り止めでも、僕には『第一志望』だった」
身の程を知る。
これは、変なプライドを持っている人ほどできない。
私も時々、理想ばかり見てしまい、現実に立ち戻った時にひどくがっかりしている。
でも、自分が「天才ではない」ということを改めて認識するたびに、思い出す出来事がある。
それは大学一年生の春。
私たちの出身高校では、受験を終えて大学生活をスタートさせた何人かが、1年生、2年生の各クラスに振り分けられて「自分の受験体験記」のようなものを話す風習がある。
これから受験を迎える人たちに、実体験から導いたメンタルや時間のコントロール方法、実際に使って役立った参考書などを紹介するわけだ。(これらの風習の是非はここでは問うていない)
私は、自分の体験記を話してはいないけれど、ほとんど話したことのない同級生の男の子の体験記を、教室の後ろの方から見学させてもらうことになっていた。
彼は、私と同じ大学に入学した。
その大学は、地元や県内の人に言わせれば、たぶん「いい大学」みたいに見えるんだと思う。
でも、全国で比べたら、中の上ぐらい。だから、東京の有名大学を狙っていたけど落ちた人たちや、マークシートの記入ミスとかでアホみたいに頭のいい人が仕方なく入ってくる…ことも珍しくない。
大学一年生あるあるだけど「本当は早稲田が合格県内だったけど、マークシートでミスってさ〜」みたいな、「お前らとは違うから。俺は仕方なくこのレベルの大学に居るんだ」と主張したがっている人がやはりゴロゴロいた。
だけど、彼は自分の受験勉強についてのノウハウみたいなものを真剣に話したあとに、こう締めくくった。
「正直、この大学には僕とは比べ物にならないくらい頭のいい人がたくさんいます。この大学なんてまったく視野に入っていなかった人が、仕方なく滑り止めで受けて、イヤイヤ入学する。多くの人にとっては滑り止めでしかありません。でも僕は、僕の実力では、必死でがんばってどうにか合格できた、第一志望の大学なんです。僕はここで学びたいことがあります。だから、合格して本当によかったです」
もう、言い訳をすることがどれだけ恥ずかしいと思ったことか。
私も少し言い訳していたことがあったので、彼の言葉を聞いてはっとした。
どんな実力があり、どんな未来を描いていたとしても、私や彼、めちゃくちゃ頭のいい人たちがいるところは結局同じだ。
同じ場所で必死に「いや、あなたたちとは違うのでw」とマウントをとっていても、現実は何も変わらない。
変えようとしていないのにやたらと文句を言うなんて、(語彙力ない言葉かもしれないけれど)ダサすぎないだろうか。
とようやく気づいた。ようやく。
ここから私は大学受験の言い訳をしなくなった。「本当はこうなってる予定だったんだけど」などと、変に気張ることをやめた。
自分が立っているところはどこなのか。
しっかり足元を見てみると、プライドなんて逆に邪魔だ。本当に現状に納得できないなら、口だけじゃなくて動かないと。
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秀逸なオチはありません。時としてそうやって、冷静に身の程を知ることは大事だよねって話です。
年齢が上がると勝手にプライドが上がってしまう人もいるから、気をつけたいですね。
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