松本哲也

レコード会社で26年。16年をJPOPの制作部で宣伝担当、5年を映像部門で映画・アニメ…

松本哲也

レコード会社で26年。16年をJPOPの制作部で宣伝担当、5年を映像部門で映画・アニメなどの制作と買付、最後の4年を宣伝部門の統括。50歳直前に退社、フリー12年。還暦の一昨年、脳梗塞からの復活。

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最近の記事

メタル侍

   2003年映像部門から宣伝部門に戻り、その後、部門統括になった頃、当時のCEOの廣瀬さんから、エフエム京都、京都府と手掛けた音楽フェスCOOLBEAT in KYOTO2005に続いて、再び京都府からの依頼で、東映京都撮影所と何か新しいことをやると言われた。何よりも憧れの東映京都との仕事なのだ。数々の名作が頭をよぎり、心踊る。初めて打合せに伺った前夜は眠れなかった。往きの新幹線は高いびきで爆睡していたのだが(笑)  若手の助監督や、アシスタントプロデューサーから企画を社

    • 『ポピーthe ぱフォーマー』

       映像部門異動当時、レンタル向けのアニメシリーズも複数やっていたが、掛ける予算も中途半端で売れていなかった。それでも、テレビシリーズだと電波料も含めて、1クール1億円以上になるが、レンタル向けにVHS 、マニア向けに当時はLDを出していたが、当たらなかった企画はどんどん売上が下がっていく。とは言え、当時は、売れないので、途中で発売を打ち切りますとはなかなか言えず、赤字は雪だるまのように増えていく、敗戦処理のような発売が続いていた。  ある老舗のアニメ制作会社の若い社長に疑問を

      • スティーブン·フィリアーズ監督

         前回の『ぼくのプレミアライフ』つながりで、その少し前のこと、スティーブン·フィリアーズ監督の新作を一緒に買いませんかと配給会社からお声をかけていただいた『がんばれリアム』。主人公の男の子の面構えがよかった。   恵比寿ガーデンシネマで公開、英文学者の父親が、初日に観に来て、知らないうちに、ぴあの出口調査を受け、紙面で写真入りで載ってしまったのは、もう時効だろうな。100点を付けないところが長く教員をしていた父親らしかった。そのせいか惜しいところで2位だったと記憶している。

        • 村田淳さん

            映画について極私的な文章を備忘録として書きます。村田さんは、レコード会社の映像部門にいたときに出会いました。元々映画に関わりたかったものの、才能はなく、日本の映画会社は求人もなくどうしようかと思っていたら、ジョン·ランディス監督が、マイケルジャクソンの新曲の短編映画を制作中と聞いて(スリラーですね)、レコード会社でも映像が作れると思って、レコード会社に就職しました。    幸い80年代は、回りの方々に恵まれ、非常に面白い日々を過ごしましたが、90年代に入るとミリオン至上主

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        • 映像部門での体験
          8本

        記事

          ぼくのプレミア・ライフ~フィーバー・ピッチ

          コリン·ファースがBBC のドラマ『高慢と偏見』が日本でも話題になって『恋におちたシェークスピア』『プリジットジョーンズの恋人』で、十分人気もあったと思うけど、日本の熱狂的なコリン·ファンの人たちが、日本公開を求めて、署名運動している97年の映画があるんだけどと、村田さんから話を聞きました。更に、その署名メンバーの一人が日本語字幕データまで勝手に作成しているとのことw。 海外サッカー音痴な私はプレミアリーグ?アーセナル?という感じでしたが、大好きな英国作

          ぼくのプレミア・ライフ~フィーバー・ピッチ

          DVD市場での幕開け2

            映画も、セル市場向けに、ゴタールの旧作や、ヤン·シュバンクマイエルなどのアートアニメが、外資系CDショップや青山ブックセンターなどで売れはじめた。  塩漬け作品のMG(ミニマムギャランティ)の償却も進んで、部門の損益も改善されてきたので、レンタル市場は完全に撤退せず、自分で全国のレンタル卸チェーンの会議を回って、アジア映画やビデオストレート作品など細々と続けていた。3人しかいないセクションなので、自分は宣伝を含めたマーケティングで動いて回るようになったのだ。ヒット作品がな

          DVD市場での幕開け2

          DVD時代の幕開け

          サンタナ『スーパーナチュラル·ライブ』 スティーリー・ダン『トゥ·アゲンスト·ネイチャー·シークレットライブ in NY』  20世紀末、映像制作部存続の模索中、当たると利幅が大きいが、回収までに時間が掛かる映画のレンタル市場をメインでなく、DVDの普及が見え始めたセル市場を考えていたら、Nくんが会社のOBのSさんからの北米の映像レーベルとの包括契約の話しを持ってきてくれた。洋楽のラインナップが魅力だった。サンタナと、スティリーダンの当時の新譜のライブ映像を含めイーグルス、ク

          DVD時代の幕開け

          1999年カンヌ

          1998年映像部門に異動になり、映画の仕事に関われるという興奮が、実はレンタル冬の時代で、映像部門の撤退が上の方で議論されているのを知って当惑に変わった頃、カンヌ国際映画祭と同時開催されているマーケットへの出張が、なぜか認められた。承認の条件は、買い付けて来るなという奇妙なもの。心優しい部下が申込みやセッティングをしてくれた。  で、カンヌの地を踏む。しかし、毎日が幸せだった。街中で映画の試写が行われ、世界中の映画関係者が集まっているのだ。初めは声をかけてくれた配給会

          1999年カンヌ