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『茶の湯』 わび茶の心とかたち  熊倉功夫先生

私の苦手な分野 読書📖💦💦
そんな私の長らく積ん読だった一冊📕
熊倉功夫先生
『茶の湯』わび茶の心とかたち

せっかく、つんどくから、つんどけへんになったんで、
自分にとっての備忘録として、noteに書き残しておこうと思った次第です。
本を読み終えて、気になったところには付箋を付けたりしてるんですが、
毎回そこまで止まり・・💦
冒頭にもふれました「苦手な読書」
一冊読み終えるのにも、結構時間というか日にちを費やします。
せっかく、そこまでの労力をかけて読み終えた本📕(大袈裟かも・・)
少しでも理解を深めるには、どうにかしてまとめっていったほうが、
ええんちゃうかなぁ〜と。
そう気づくのに、53年かかってしまいました😅💦

苦手な読書ではありますが、本を読むと、
やはり、新たな発見、気づきに出会うことができます。
茶道講師という立場上、お稽古場で皆さんのお稽古を見ていると、
皆さんから色々な質問をぶつけられます。
私もほんとに若輩者の勉強不足なんで、全ての質問に対して的確なお答えをできるわけではありません。
私のわかりえる範囲なら、その場で私なりのお答えをいたしますが、
その場でお答えしたことも、自分の中で確信のもてる回答と、
ちょっとあやしいかも❓💦という回答もあります。

自分の経験値・知識力からしてわからないことは、
正直に「わかりません・・💦」「なんでやろね❓・・💦」
とお答えしたり、
その場でお答えしたものの「ちょっとあやしかったかも・・💦」
という事柄などなども、後ほど調べ直してお答えしたり。
あと、たまにキラーパス(講師泣かせクエッション💦💦)も飛んでくるんです。

お稽古場の皆さん 「えっ⁉️それはなんで⁉️」
私 「それはこうやからちゃう」
皆さん 「それが、こうやからっていうのは、なんでそうなるん⁉️」
私 「・・・😭」

なんで⁉️に
なんで⁉️を重ねてくる
なんで⁉️なんで⁉️重ね
こういう質問のだいたいは、いわゆる原点的な疑問になります。

こういったキラーパスに対して、講師からの最終的な返しは、
「そんなん昔の人に聞いて‼️」
「まぁ、ずっとそうやってきたからそうなんちゃう❓」

まぁねぇ〜、こういう返しもある意味正解かもしれませんが、
返し終えた後、な〜んか虚しさが残るんですよねぇ😅💦

というわけで、そんなキラーパスに対して、
ちょっとでも反応できるようにと思い、
改めて「本📕、読まななぁ〜」と。
とりあえず、「茶の湯って言葉が付いてるものから読もう‼️☝️」
「そうやっ‼️熊倉先生の本あったなぁ📕」
そこで、積ん読からチョイスしたのが、この本になります📕

〝はじめに〝
「私はこの『茶の湯』を一風かわった茶道史にしたい」
そこで選んだ道は、すでに常識になっている茶道史にあらためて疑問を呈すること。
なぜか、なぜか、と問いつづけることである。

まさに、私にピッタリのチョイス👌

そして、「一風かわった茶道史にしたい」
とおっしゃられるように、この本の冒頭最初の一文が、
特異なる文化
孤独な茶の湯
茶人は孤独である

今現在、コロナ禍も落ち着き、インバウンドで賑わいをみせる日本。
私の住む大阪も梅田やミナミ界隈をはじめ、色んなところで外国の方をお見受けする機会が増えました。
日本文化の最たる場所、京都や奈良なんかもほんとすごい賑わいですよね。

そんな、インバウンドで賑わいを見せている日本ですが、
果たして日本文化というものが、他の国々からどこまで受け入れられてるものなのか❓

熊倉先生は、「日本の文化は他の国から貴重視されることはあっても、対話が成立しにくい文化である。その意味で孤独。その典型が『茶』である」
この本の冒頭は、そんな日本文化の特殊性というところから斬り込まれていき、
そのコアなものが『茶の湯』という独特な文化。
そして、その『茶の湯』をよりコアなものにしたものが、
千利休居士が一挙に完成された『わび茶』であると。

利休居士が創造された『わび茶』の構造は、非常に強固なもので、
そんな強固なものなだけに、誰にでも理解されるというものではなかった。
たとえ理解できても、それを実行できるものではなかった。

南方録の一節に、
『茶のすたる時、茶の湯繁昌』という一節があります。

今から十年を過ぎぬうち
茶の本道捨るべし
捨る時、世間にては、
かえって茶の湯繁昌と思うべきなり
ことごとく俗世の遊事に成りて
あさましく成はて
今見るがごとし

これが、実際に利休居士がおっしゃられたお言葉かわかりません。
ただし、少なくとも利休居士が没して百年後に、
南方録を創造した人の心の中に『わび茶の湯』というものが、
多くの人々に理解されるものじゃなく、廃れて、孤独に命脈を保つもの、
と捉えられていたんでしょうね。

この一節を知り、「あぁ〜〜南方録も読まなあかんなぁ〜・・💦」と😅

にじり口は、なぜあんなに狭いのか❓
濃茶は、なぜ廻しのみをするのか❓
なぜ、茶室では正座をするのか❓
そして、それらはいつからそうなったのか❓

こんな「なぜ❓」など、今まで少しは見聞きしていましたが、
やはり私の想像は浅いもので、この本を拝読し、
また新たな発見をいただきました。

この本の元の本は1977年に出版されたものだそうです。
熊倉先生が30代前半に書かれた本。
それが、文庫本になったもので、今回1割ほど書き改め加筆されたそうです。

あとがきで

「茶の湯を芸能あるいは芸術・宗教と捉えるには不十分。芸能・芸術・宗教に限りなく近い性格をもつものであるが、その、どのカテゴリーにも属さない。茶の湯に一番近い概念として考えられるのは、『生活文化』。日々の生活の質を高めるところに、茶の湯の目標があるんじゃないか」

以前、表千家さんのDVDを見てまして、
「茶の湯のおもてなしは、サービスとは違う」
という熊倉先生のお言葉に「ハッ🤩🤩🤩‼️」と感銘を受けた私。
この本を拝読し、また新たな「ハッ🤩🤩🤩‼️」をいただきました。

茶の湯とは❓

日本文化といわれ、総合芸術ともいわれる『茶の湯』
果たして我々日本人の心のうちに、
いったいどれだけ入り込み、受け入れられ、
そして理解され、我々に根づいているんでしょうか❓
ましてや、他の国々の方々に、
どこまで受け入れられるものなんでしょうか❓

『わび茶』『わび』『さび』
茶道講師しています私ですが、
お恥ずかしながら、これらについて問われても、
的確にお答えすることはできません。

茶の湯とは❓
いつか、
その答えを、
皆さんにお伝えすることができるようになれるんかな❓・・
修行ですね・・💦😅

そんな孤独な文化『茶の湯』
というものに興味を抱かれた『変わりもの』のお方へ
ぜひ、おススメしたい一冊です。
ご購読いただけばと思います。📕👌

では、つたないダラダラとした長文に、
最後までお付き合いいただきありがとうございました🙇🏻‍♂️




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