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『南方録を読む』 熊倉功夫

note 3回目
やというのに
大作をチョイスしてしまいました〜・・📗💦

第1回目の note『茶の湯』を書きながら
「南方録も読まなあかんなぁ〜」
と、つぶやいてしまったがために・・

「南方録かぁ〜・・💦」
読書苦手📖💦歴史苦手📔💦
そんな私にとってはかなりハードルが・・😅

しぶしぶ、マイライブラリー積ん読を探索📚
「やっぱ、熊倉先生頼みやな❗️」

そして『南方録を読む』📗
を手に取ったにもかかわらず
「えぇ〜〜⁉️・・やっぱごっつい本やなぁ〜・・💦」

そのぶっとい見た目📗💦
その見た目からくる本圧・・📗🔥🆘💦
チョイスして早々ためらいが・・🆘💦

まず、いきなり強烈な活字群を目にする前に
「ゆる〜いYouTube動画見て目を慣らそう😎」

そう一息ついてから
「うりゃっ❗️😤」と気合入れ
なんだかんだ、ようやく読書スタート📖💦

完読するのに日数を要しましたが
いやぁ〜、ほんと読んでよかったです〜‼️💮👌

《はじめに》
私は今までいろいろ茶の湯の書物を読んできた。
そのなかで『南方録』は群を抜いて面白い。
『南方録』の一節一節が
我々のわび茶のイメージを豊かにしてくれる。
『南方録』は
生き生きと利休のわび茶を語る文学といってもよいだろう。

『南方録を読む』はじめに より

本書の冒頭《はじめに》を読み進めていくうち
だんだんと『南方録』というものに引き込まれていき
ご飯も食べず読書に没頭してしまいました😅

まずですねぇ〜
ミステリーといいますか
『南方録』には、なんしかが多い。

利休居士は「秘伝を書き残すな‼️
と命じたにもかかわらず
利休居士を推しに推し崇拝する南坊宗啓
なぜ、その命に背き、秘伝を書き残したのか❓

そして、その『南方録』を書き残したとされる南坊宗啓
実はこの南坊宗啓という人物自体もの人物で
ひょっとしたら「実在しないかもしれない」
ともいわれてるそうです。

利休居士の三回忌を営み
この秘伝書を残し
その後、行方知れずに。

残された秘伝書は七巻
まだ『南方録』という題名は付けられておらず
長期間秘蔵されていました。

それを百年後に発見したのが
立花実山という人物。
そして、実山たちが『南方録』という書名を考え
世に紹介したのが所謂『立花家本』という『南方録』

実山に発見されたということにより

これがまたねぇ〜
ややこしいといいますか
又また色々とが生じてくる要因となっていきます。

それによって、どういったが生じていくのかは
本書の解説で述べられています。

本書は『南方録』七巻
全篇をとりあげてるわけではありませんが
とりあげられた一巻一節ずつには
原文・現代語訳・語釈・熊倉先生による解説が付いています。

「南方録❗️・・」「ぶ厚っ❗️・・💦
と身構えながらも、現代語訳・熊倉先生の解説があり
本書は読みやすい本になってると思います📗👍

『南方録』
茶の湯を心ざしている人なら一度くらいは耳にしたり
あるいは目にしたりしている言葉だと思います。
もちろん、既に読まれた人も多くいらっしゃるでしょう。

なかなか、初心者の人には難しく
とっつきにくいものかもしれません。
初心者じゃなくても敬遠されがちなんじゃないかなぁ〜と。
もれなく私もその一人です・・😅

なので『南方録』そのものは
お恥ずかしながら、まだ読んでません‼️・・📖🈚️💦

そもそも、読書苦手💦歴史苦手💦
ということもありますが
読んでない理由のひとつに「南方録はあてにならん❗️
そんな噂話しを鵜呑みにしてた時期もありまして
「それやったら、わざわざそんな小難しいぶっとい本、
読まんでもええよなぁ。そこに時間を費やすくらいなら
点前の一つでも覚えるようにしよう
☝️🍵
こんな不届きな思いをもっていた私・・💦

私は茶の湯の道に入る前、全く違う職に就いておりました。
祖父・祖母・父母がお茶をしておりまして
妹と末っ子の弟も茶の湯の道に入り
亡くなった父が裏千家業躰
後を継いだ末っ子の弟も現在裏千家業躰。

そんな家に居ながら
どちらかというと茶の湯をけ嫌いしてた私😅
それが、ほんと『人生いろいろ』とはよくいったもんで
39歳(現在53)から茶の湯の道に入り
なんやかんやで今に至ります。

だから最初は焦ってたんでしょうねぇ〜
それプラス、おかん(母)の無茶ぶりもあり
私がお茶やりだして一年目くらいからですかねぇ
とある文化教室の講座中
おかんが、まだまだ何もできない私に
「こっち見るのに忙しいから割稽古くらい教えてあげて🍵」

「おいおい・・💦無茶ぶりやなぁ〜・・💦」
と思いながらも
その時点で知り得る所作を
嫌ぁ〜な汗かきながら💦💦💦
必死に身振り手振り全身を使い
初心者受講生にお伝えしていました🍵

そんな状態の私(今もゆうほど進歩してませんが・・😅)
でしたので、その頃の受講生の皆さんには
ほんと、申し訳ありません🙇🏻‍♂️💦
この場をお借りしてお詫び申し上げます😅

ということもあり
「早よ色んな点前覚えなあかん‼️」
と、思いだけが先走り・・

どうしてもねぇ〜
今現在のお茶のお稽古というのは点前重視になりがちで
時間あったら「点前❗️点前❗️ですから
『南方録』などの難解な本読んでるよりも
『点前教則本』などをひたすらにらめっこする日々でした。

そんな私も、茶の湯の道に入り14年目。
『南方録』などの本も読まなあかんなぁ〜と。
14年経ち、ようやく気づきだした次第でございます😅

『南方録』の読み方はいろいろある。あえてこれでなければならないとはいう必要もない。歴史的な読み方という意味は、歴史とは、明日にどのように生きてゆくべきか、過去の世界にその指針を求める学問でもあるように、明日の茶の湯がいかにあるべきかを古い伝書に見出そうという読み方でもある。『南方録』はまさに現代的なこうした読み方に十分耐える書物と私は確信している。

『南方録を読む』解題 より

『南方録』について
いろんな人による
いろんなかたちの見解があります。

実際、利休居士がお伝えになったことなのか❓
南坊宗啓という人物は実在したのか❓

現代のように情報交換がそう簡単にできないであろう時代
百年もの間秘蔵されてたといわれる秘伝書を
南坊家とは全く関わりのない立花実山
本当に発見できたのか❓

そして、実山が書写したとされる秘伝書の原本
その原本はどこにいったのか❓
そもそも原本は存在したのか❓

専門的な見解は専門家にお任せしまして
誰がどうあれ、その時代にそういう『茶』が存在してたのは
事実なんじゃないかなぁ〜と。

その時代にも『茶の湯とは
と問い続ける弟子という関係性があり
かたちは違えど
今も『茶の湯とは
と問い続ける弟子の関係性も残っている。

そう思うと、茶の湯ってほんと奥深いですよねぇ。

最後に

南方録』覚書の巻 劈頭の一節

宗易の云、小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事也、家居の結構、食事の珍味を楽とするは俗世の事也、家ハもらぬほど、食事は飢ぬほどにてたる事也、是仏の教、茶の湯の本意也、水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ、人にもほどこし、吾ものむ、花をたて香をたく、ミなミな仏祖の行ひのあとを学ぶ也、なを委しくハわ僧の明めにあるべしとの給ふ、

『南方録を読む』覚書 より 

『南方録』滅後の巻 有名な一節

人ニメヅラシカラレ、ソレヲ美目ニシ、誰ハコノカザリヲシテ客ヲシタルニ、其客ハ何カシノ弟子ナルガ、ソレヲ不知シテ赤面シツル、ナニガシノ弟子ハ能知テ首尾シタリナド云ホドコソアレ、師ヲトリカヘテ出入ヲ絶スル類多シ、ソレユヘ師モ思ヒ思ヒサマザマノ事ヲタクミ出シ、古伝ニチガヒタルコトイクラト云数ヲ不知、十年ヲ不過、茶ノ本道捨ルベシ、スタル時、世間ニテハ却而茶ノ湯繁昌ト思ベキ也、コトゴトク俗世ノ遊事ニ成テアサマシキ成ハテ、今見ルガゴトシ、カナシキカナ、

『南方録を読む』滅後 より 

「歴史は韻を踏む」といわれますが
約430年遡った時代から
今現代に生きる我々へ届けられたメッセージでもあるような
『南方録』

流派も関係ないと思います。
茶歴も関係ないと思います。
初心者の時こそ『南方録』に触れてみるのもいいかもです。

とはいえ、いきなり『南方録』にいく前に
ぜひ、本書の『南方録を読む』おススメいたします。📗🉐👍

『南方録』その時代に生きた人々の茶の湯🍵

純粋に「茶の湯とは
と、生涯にわたり問い続け
秘伝書まで書き残した人もいれば

「そんな問いはどうでもいい」という人もいた

それから430年の時が経ち
「茶の湯とはそんな問いを
『南方録』から問いかけられる今現代。

今を生きる我々の「茶の湯とは

『南方録』
触れて感じてみてはいかがでしょうか。

今回も長々と長文にお付き合いいただき
ありがとうございました🙇🏻‍♂️🍵

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