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[2024/06/07] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第82信:ストリートミュージシャンの現実と夢を生き生きと描く~カナダ人監督のドキュメンタリー快作『ジャラナン』より~(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第167号(2024年6月7日発行)所収~

轟(とどろき)英明 様

5月中旬に一時帰国しましたが、穏やかな天候が続き、自転車に乗っているとツツジの花の香りを楽しむなど久々に爽快な春を味わえました。インドネシアで大汗かきながら歩き回るのも好きなのですが、この時期はやはり日本ならではの良さがあると改めて感じました。

さて、前回轟さんが取り上げたティーンズ・ロマンス作品は私も苦手なのが正直なところです。轟さんも触れた、『ビューティフル・デイズ』(Ada Apa dengan Cinta)や『ひとりじめ』(Posesif)などは、轟さんと同じような感想を持ちました。またティーンズ・ロマンスでは外せない大ヒット作品『ディラン1990』(Dilan 1990/ 2018年作品)シリーズも初めて鑑賞する際も乗り気ではなかったのですが、なぜこれほど若者が共感したのかという、ひねた親父目線で観たら結構興味深く、ディランの魅力は何かという別稿を続編作品のレビューで書いたことがあります。こうした苦手意識のため、『2本の青い線』(Dua Garis Biru)公開の際も、映画館でポスターを見て迷いつつも見送った記憶があります。ただ轟さんの原稿を読み、単なるありがちな高校生の妊娠ものではないようですので、後日ネットフリックスで観てみたいと思います。

一方で前々回、轟さんが絶賛した夫婦倦怠期の危機を描いた『結婚生活の赤い点』(Noktah Merah Perkawinan)は公開当時、好きな俳優が主役夫婦で共演(オカ・アンタラとマルシャ・ティモシー)するので期待を込めて劇場へ向かった作品です。轟さんが指摘するように倦怠期の夫婦それぞれの心理描写が丁寧に描かれていますが、その後の物語の展開を含めて私個人としては期待外れの感想に終わってしまったのが正直なところです。確か上映も2週間で終了したので、やはりそうかとまで思ってしまいました。それだけに、前回轟さんが正反対の評価で取り上げたのに驚いて興味深く読ませていただきました。

実は同じような経緯と感想を持つ作品がもう一つあります。それは『危険な11分間』(Critical Eleven/ 2017年作品)で、初の妊娠に向き合う若い夫婦の心理的な危機をテーマにした作品です。「危険な11分間」とは、飛行機が離発着時に事故を起こしやすいため、特に操縦に気をつけねばならない離陸後の3分間と着陸直前の8分間の合わせて11分間を指した航空業界用語です。これを出産前後の不安定な夫婦関係になぞらえてネーミングされています。この作品も好きな俳優が主役夫婦で共演し(レザ・ラハルディンとアディニア・ウィラスティ)、心理描写は上手く描かれていたのですが、全体的な展開など今ひとつだった覚えがあります。

良い作品と観客動員数は一概に比例しないと考えるので、数字を持ち出すのはあまり気が進みませんが、『夫婦生活の赤い点』は11万6,861人、『危険な11分間』が88万1,350人です(いずれもWikipedia参照)。個人的に響かなかった『危険な11分間』はそこそこのヒット作品でもあります。『夫婦生活の赤い点』については当時の報道で、内容や演技が優れているのになぜ観客動員が伸びなかったのかとして、その要因についてテーマ性の対象世代が限られていたこと、広報活動が少なかったことなどを挙げていました。さらには上映当時、200万人以上の観客動員数を獲得した大ヒット作品が3本も上映されていたのも影響していたかもしれません。

『夫婦生活の赤い点』について、なぜこうも轟さんと私とで感想、見解が異なるのかいろいろ考えましたが、今のところ趣向の違いしか思いつかないのが現状です。新たな発見もあるかもしれないので、近いうちに改めてNetflixで見直してみたいと思います。また、『危険な11分間』は轟さんが最近シリーズテーマにしている結婚生活にまつわる作品でもあるので、いい題材になるかもしれません。ネットフリックスのインドネシア版で配信されているので、未見であればご覧ください(たしか、日本からでも操作次第でアクセスできると仰ってたかと思うので)。私とは異なる感想を期待しています。

観客動員数を出したついでに、前回私が取り上げた『グレン・フレッドリー ザ・ムービー』(Glenn Fredly The Movie)の観客動員数がなぜ約18万人にとどまったのかですが、インドネシア人口の年齢構成に伴う、グレン・フレッドリーを知る世代が少ないのが要因の一つではないかと考えています。グレン・フレッドリーは国を代表する歌手の一人ですが、最も曲がヒットしたのは2000年代の前半です。当時12歳以下だった世代を「グレンを知らない世代」だとすると、それ以降生まれた人も含めて現在全人口の約半分を占めています。この世代は劇場映画鑑賞者の主力世代でもあります。また、作品内で重要な要素の一つ、アンボンの宗教抗争は1999年から約3年間で、これも同様に知らない世代が大勢を占めています。これらが同作品に関心が向かなかったことに影響しているかと思われます。

わずか10年、20年でも人の記憶は曖昧なもので、そこに世代感覚のずれが生じますが、若い世代が圧倒的に多いインドネシアではそれが大勢に結びつきやすい傾向にあるようです。ある程度上の世代の人であれば20年前の段階で、プラボウォ氏が後に若い世代の支持を得て大統領に当選すると予測できた人は多くはなかっただろうことにも通じるようです。

前回は、許容から相互理解を深めるグレン・フレッドリーの生き方を通したテーマ性を中心に書いたため役者についてはあえてカットしましたが、轟さんの言うように、主演のマルティノ・リオはこれまでのアクションや悪役とは一変して、内面を表現する新たな面を見せてくれるところも魅力の一つです。グレンと同じアンボン民族(リオはスラバヤ生まれ)であることからグレン役に抜擢されましたが、従来の「動」だけでなく、「静」の演技まで幅広い実力を示してくれています。

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さて、今回も音楽にまつわる映画作品について話していきたいと思います。作品はドキュメンタリー映画の『ジャラナン』(Jalanan/ 2013年作品)です。

ドキュメンタリー映画『ジャラナン』公開時ポスター

「ジャラナン」とは路上で金稼ぎを生業としたストリートチルドレンやストリートミュージシャンらを総称した経済的に下層の人々を指しますが、本作品では3人の大人のストリートミュージシャンを追いかけています。

興味深いのは監督がカナダ人であることです。このダニエル・ジヴ監督はドキュメンタリー監督で、1999年からインドネシアに在住し、乗合バスなどで自らの目で作品主人公である3人のストリートミュージシャンを探し出したということです。撮影も自らカメラを担ぎ、6年間という長期取材撮影を行なった作品です。劇場公開当時の鑑賞前は、外国人目線での作品になっていないかなど若干の懸念を抱きましたが、全くの杞憂に終わり、取材対象者を生き生きと等身大で描きながらも、経済的格差や労働問題、社会保障など現代インドネシアの都市が抱える問題をありのままに浮き彫りにしています。

ストリートミュージシャンが主に活動していた乗り合いマイクロバス(2015年撮影)

本作品はネット配信などにもなく、なかなか鑑賞できる機会がないかと思われるので、詳細に紹介したいと思います。作品に登場するのは、一般に歌うことで日銭を稼ぐプガメンと呼ばれるストリートミュージシャンのボニとホー、ティティの3人です。いずれも30歳代前半。有名曲など既存の曲を歌うストリートミュージシャンが多いなか、作品に登場する3人は自らのオリジナル曲を歌うところに特徴があります。

3人のうちの一人、ボニは驚くことにジャカルタの中心部を貫くスディルマン通りの真下、交差して流れる河川のトンネルに住んでいます。妻と子供2人の4人暮らし。偶然ながら余剰な井戸水を流す排水管があるため、水浴びもできます。清潔をモットーとするボニは高級ショッピングモールにも行きます。「ここのトイレにはティッシュもあるからね」。ボニの妻も道路下の「家」で化粧をし、身綺麗にしてインスタントラーメンを作ります。「一時凌ぎの場所だ」と言いながらも、ボニが話します。

主人公の一人、ボニ(公開時ポスター一部より)

「ここでの生活はそんなに悪くない。通行人が上から見ればただの橋だが、道路の下から見ると、(川沿いの木々が)山の森林のように見ることができる。夜はそよ風を感じることができ、時に上を走る車の音や流しの奏でる音楽を聴くと、平和を感じるよ」

実は作品鑑賞後にスディルマン通りで彼らの住居跡を見つけたことがあります。川の堤防にはペンキで描かれた跡も残っていて、生活の痕跡が窺えました。各地のスラム街を見てきたつもりでしたが、大都市の中心部でのこうした大胆な生活跡を見て、改めて驚いた覚えがあります。

スディルマン通りの橋の下にあった、ボニの住居跡。住居の壁にあたる河川堤防には、「ここで生きてるぞ」と言わんばかりの表記も残されていた(2014年9月撮影)

大胆にも逞しく生きるボニの姿は大都会での貧富の差、経済格差を象徴するようでもあります。経済的に上の者が見る風景と下層の者が見る風景との違いをうまく表現しています。一見酷い環境下でも平和に感じることができるのはなぜか? ボニにとっては家族との安寧な暮らしができることが最も大切なことであり、どこだろうと「住めば都」だということのようです。ボニの仕事場である、乗り合いマイクロバスで彼が披露するオリジナル曲も家族を交えた生活感から見た世の中を歌ったものです。

経済危機以来、生活は厳しい。可愛い妹よ、泣くんじゃない
泣くと、母さんのお乳も止まってしまう
父さんたちは頭を痛め、母さんたちは絶望する
物価は上昇し続ける、これが我々の国の運命なんだ

ボニは8歳の時からストリートチルドレンとして金を稼ぎ始めたと言います。洗濯で家計を守る母親を助けるため、小学校を辞めると母親に言ったこともあります。鳴り物を自分で作って歌い、その後、新聞やタバコ売りを経て、ギターを覚えストリートミュージシャンになります。

道路下の住処は快適ばかりではありません。大雨で川の水位が上がり、高架下の住処が脅かされたため、仲間と共にコンクリートで高架下の居住区域を嵩上げするボニ。ペンキで壁を綺麗に塗る一方で、我々にとっては最高の住処だと言わんばかりに、すぐ近くにある高級ホテルの名前「ハイアット」の文字をしたたかに表札のように描くユニークさもあります。過酷な環境でありながらボニの明るさが救いですが、一方でボニの発言には現実をしっかりと見据えてもいます。

「五つ星(ホテル)に泊まりたいとも思うが、まずは一つ星からだよ」

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