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差別が一切ない社会は本当によりよい社会なのだろうか?

日本でもアメリカでも、性差別や人種差別の撤廃が声高に叫ばれています。

僕も差別を失くすことには賛成です。僕がアメリカに住み始めたのは今から37年前の1982年のことでしたが、その頃はまだ少なからず人種差別がありましたし、結構しっかりとそれを肌で体験しました。

差別されるのは嫌なものです。日本に日本人男性として産まれて、日本から出ることなく暮らしていると差別を体験することは基本的にありませんが、いざ自分が差別される側になって見ると、なんて不条理なものかと思うものです。

現代のアメリカも日本も随分差別が減りましたが、有色人種や女性やLGBTに生まれれば、やっぱり差別を何度も体験していくと思うのですね。数日前に令和時代がスタートしましたが、令和が終わる頃には、ぜひ差別のない世界が実現してくれるといいな、としみじみ思う2019年です。

さて、やがてある日、肌の色や性別による差別が克服されたとします。あるいは、見た目の美醜によって差別されない日がきたとしましょう。すると、例えば有色人種の女性に産まれたとしても、グローバル企業で高い地位に就き、如何なく能力を発揮できる時代がやってくるはずです。そしてそれは、確かに今よりもずっと幸せな社会であるように思われます。

果たして本当にそうなるのでしょうか?

本当に女性や性的マイノリティや有色人種の幸福度はアップするのでしょうか?

男性や白人の幸福度はどうなのでしょうか?

今日は、もしも差別が撤廃されたら、本当により住みよい社会になるのかどうかを考えてみたいと思います。

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