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疎外感を抱く人がいない社会は、実現可能なのだろうか?

川崎で起きた殺傷事件、本当に痛ましいことです。12歳の女の子と39歳の男性が亡くなってしまいましたが、この二人とそのご家族の方の気持ちを思うと全くやりきれません。謹んでご冥福をお祈りします。

さてご存知の通り、アメリカではこのような無差別殺傷事件が頻繁に起きています。あまりに頻繁に起きるため、最近ではついに「ああ、またか」としか思わなくなってきています。日本もこうならないように、なんらかの手をつくす必要があるのは間違いありません。

ニュースなどをみると、早速犯行動機の解明などが行われているようです。そして「社会から見捨てられた人による犯行」というような見方が出来上がってきているようです。どうやら、「多くの人々が疎外感を抱かずに済む社会を作るべきだ」という方向で議論進んでいるようです。これには基本的に賛成です。

ただ、この犯人が社会に対して強い疎外感を抱いている、いわゆる「無敵の人」だったのかどうかは、本人が自殺してしまった今、検証のしようがありません。状況証拠的には確かにそのように思われますが、それはあくまで僕らの憶測に過ぎないのです。

無論、明日からまた子供を送り出さなければならない親御さんたちが、原因を突き止めて再発を防止したい気持ちはよくわかります。しかし、犯人が自殺してしまった今、現実に解明できることはほとんどありません。僕らが現在やっていることは、自分たちが安心したいゆえの回答探しにしか過ぎないことを心のどこかに留めておく必要があるでしょう。

今日のこの記事では、「人々が疎外感を抱かなくて済む社会」というのが実現可能なのか、また可能だとしたら、具体的には何をすればいいのか、考えてみたいと思います。

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