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親の役割は人生のチアリーダー

「人は一般的には失敗を糧にはできない。糧にできるのは確固たる成功体験がある人だけ」というTogetterのまとめがバズっている。僕もこれを読んで、思わず「あー」と声をあげてしまうくらい思い当たる節がいくつもあった。

僕は子供の頃どうにもこれといった成功体験が得られなかった。成績は常に下から数えた方が早く、運動神経も鈍く、何かと一言余計なので友達も少なかったし、先生たちからもあまり好かれなかった。兄は学年きっての秀才でいつもトップを独走しており、その上体格もよく周囲から一目置かれる存在だった。「お前のお兄ちゃんはもっとできたのに」と先生らから言われると、いささか辛かった。

一方2歳下の弟は運動神経抜群で常に話題の中心にいる人気者だった。いつも学級委員で、バレンタインデーには食べ切れないほどチョコレートをもらってきた。学校のマラソン大会は小学校1年から9年間続けて学年優勝し、球技大会でも運動会でも常に大活躍した。1500メートル走など2番の陸上部のエースにグランド半周以上差がつくほど早く、グランドは松井コールで沸き立った。

そんな彼が小学校に入って水泳を始めると、あっという間に選手コースに昇格し、全国大会の常連になった。僕も水泳をやっていたのだが、弟よりも2年も早く始めたのにも関わらず選手コースになる頃には抜かされ、その後再び追いつくことはなかった。

そんな僕が初めて成功体験を得たのは、その水泳だった。中学2年の時は県大会で2位になり、自分なりに誇らしかった。中学3年の時にも同じく2位で終わったが、県大会で連続して入賞というのは、僕にとって何よりの自信の源になった。「流した汗は嘘をつかない」そんなふうに思ったのを今でもよく覚えている。

このまま水泳を続けながら受験も乗り切りたかったのだが、父親はそう考えておらず、勉強に専念しなさいと水泳を中断させられた。これがどうにも屈辱的だった。なぜなら同じ中三の受験を控えたチームメートたちの中には誰1人水泳を中断するものなどなかったからだ。「お前は彼ら以下なんだから、自分の身の程を知りなさい」まるでそう言われたような気がした。

僕はそもそも勉強なんかできる方ではなかったから、拠り所がなくなってしまうとすべてのことに対してやる気を失ってしまい、あっという間に成績が下降した。親の独善に振り回されるのも悔しかった。ズルズルと荒れ始めて、結局はあんまりぱっとしない高校に入学した。あれでは水泳を続けてても何の違いもなかったろう。もしかしたらもっと良い高校に入れたかもしれない。

僕がもう一度成功体験を掴むのはそこから4年後のことだった。長い間低空飛行が続いた。成績は10段階評価なのに5段階評価なのかと思うほど低く、常に下から2番目とか3番目で、どの教科も全くわからなかった。

ところが、人生というのはどう転ぶかわからない。この頃、叔父に強引に勧められて断れきれず合気道を習い始めたのだが、師匠が実に褒め上手だった。なんだかやる気が出て一生懸命練習した。すると、驚いたことに道場始まって以来の最短記録で黒帯を取得してしまったのだ。

ちょうど同じ頃、あまりに成績が悪かった僕は日本から逃げ出したい一心で交換留学プログラムに申し込んだのだが、何かの手違いで選抜テストに合格してしまい、アメリカに1年間住むことになった。そして、ここでもまたよく褒められた。ホストファミリーの薪割りを手伝って褒められ、買い出しを手伝って褒められ、たいして英語ができないのでアメリカに住んでいると言うんだけで「勇気がある」と褒められた。これには一体どれだけ救われたかわからない。気がつくと僕はなんだか「やればできる!」と思うようになっていた。帰国後は一心不乱に勉強し、わずか1年ほどでTOEFLで高得点を得て、アメリカの大学への進学を果たした。

当時の水泳のコーチと合気道の師匠とアメリカのホストファミリーには感謝の言葉しかない。豚もおだてりゃ木に登ると言うが、それを地で行ったようなものだ。そうそう、そういえばこの水泳のコーチはアメリカで大学を出ていて英語ペラペラだった。アメリカに行こうと考えたのもこのコーチの影響が大きかった。

今考えてみると、僕の両親もおそらく失敗ばっかりな僕が不憫で、何とかして成功体験を与えてあげたいと思っていたのだ。機会があれば褒めてあげたかったのではないかと思う。だが、成功体験を得られるかどうかは運の巡り合わせに大きく左右される。両親がどんなに願っても子供が必ずしも成功するとは限らない。

やがて自分が結婚して親になったときに、今度は親の立場からこれを実感した。長男は何でも一生懸命真面目にやる子なのに、なんだかいつも裏目に出てしまう。そんな彼がようやく成功体験を得たのは高校生になってからだった。一方次男のほうは、要領が良くて勉強もしないのに常に成績が良く、人気者で周りに人が群がった。英語を覚えるのも異常なくらい早かった。だがそんな彼も、小学校3年生の時に突然治療法が確立されていない難病を患い、それ以降すっかり自信をなくしてしまった。そして、こればっかりは親の僕がどんなに何とかしてあげたくても、どうしてやることもできなかった。

僕らの人生にはどうしても運がついて回る。そしてそれはコントロールできない。ただ、雨の日があれば晴れの日もあるように、ずっと悪運が続くばかりではない。雨の日が続いてる間は、傘をさしてトボトボと歩くしかないのだ。そしてそんな時に親や教師がしてあげられることは、一生懸命にチアリーダーになってあげることだろう。

親が子供の人生の中でしてあげられることは、思っているよりもずっと少ない。衣食住の供給を除けば、せいぜい応援するのが関の山だろう。でもそれで良いのではないか? 僕はチアリーダーたちに励まされ、やがて成功体験を得ることができた。きっと僕みたいな人も多いだろう。だから親も先生も人生の先輩ぶらず、観客席から一生懸命応援してあげればよいのだ。

どうせ子供にしてあげられることは、そのくらいしかないのだから。


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