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「人間がやった」ということがプレミアムになる時代になる

「AIやロボティックスの発達により、人間の仕事がなくなる」

こんなことが言われて随分時間が経ちます。AIが文章も書くようになる。AIが作曲もするようになる。AIが発明、発見もするようになる。だから人間の仕事はなくなるのだ、というわけです。

確かにこれは否定できない現実です。ただ、もしもこの論法が正しいなら、なぜ原付オートバイですら時速80キロくらい出る時代に、人間がマラソンしたり短距離走をしているのをわざわざ人々がお金を払って見に行ったり、テレビに噛り付いて見ているか説明できません。囲碁や将棋なんて今やAIベースのゲームの方がプロより強いくらいなのに、いまだにプロが存在するのは何故なのでしょうか?

理由は簡単で、結局みんな人間のドラマを見たいからです。だからこそ車やオートバイが人間よりも早く走れるようになった後でも、走ること自体が職業として成立しうるわけです。囲碁や将棋だって同じことです。みんなマシン同士の戦いではなく、人間のドラマを見たいのです。ですから、「人間のやることはみんな機械に置き換わってしまう」というのは明らかに大げさです。「機械でもできる=絶対に機械に置き換わる」ではないのです。

では、本当に人間の仕事は機械に置き換わらないのでしょうか? 仮に置き換わってしまうとしたら、何がその分水嶺となるのでしょうか? この記事ではその辺りを考えてみたいと思います。

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