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「みんなが反対しにくい言説」は大抵暴走します

「いじめはいけない」

と聞いて、「いや、別にそんなことないよ」という人はまずいません。仮にそう思っていたとしても、そんなことを言ったら社会から吊し上げられてしまうからです。事実上いじめを容認しているような人ですら、「いじめは許されるべきですか? 許されるべきではありませんか?」と聞かれたら、まず大抵、「許されるべきではありません」と答えます。

世の中にはこうした「反対しにくいスローガン」がたくさんあります。

「人類皆兄弟」、「人間の命は何よりも尊い」、「命の重さはみな同じ」、「ルックスや性別や肌の色で差別すべきではない」...。

ちょっと考えるだけで、いくらでも思い付きます。他にもきっと色々とあると思うのですね。

これらのスローガンは錦の御旗のようなもので、基本的に無敵です。ちょっとでも反論しようものなら凶賊のレッテルを貼られ、物凄いバッシングを受けます。そのくらいならまだいい方で、キャリアや生活の手段を絶たれることさえあります。

一企業が言論の自由を奪っていいのか?

例えば最近 YouTube が極右の著名人のチャンネルを停止したことが話題になりましたが、これに異を唱える人はほとんどいません。「肌の色や人種で差別すべきでない」という言説は圧倒的な正義に裏打ちされているので、反対するなんて正気の沙汰ではないからです。異を唱えたが最後、その瞬間にレイシストの烙印を押され、社会から追いやられます。

でもこれ、冷静に考えてみると、アメリカ合衆国憲法修正第1条の「信教・言論・出版・集会の自由」を脅かしていると言えなくもありません。民主主義と言うのはみんなで好き勝手なことを言い合い、出版したり集会を開いたりして競い合うシステムです。今やYouTubeは一大言論プラットフォームですが、それを一企業が社内規定に基づいて取り締まっていいものなのでしょうか?

極右から言論の自由を奪う動きは Facebook、Twitter、Reddit、Twitch などといった他のプラットフォームにも広がっています。ですから、同様の疑問がこれらの会社にも当てはまります。一企業の恣意的な検閲によって言論を封殺していいのかどうか。なかなか難しい問題です。

一方、FacebookもYoutubeもTwitterもそれぞれビジネスですから、みんなにボイコットされたりしても困るわけで、そうなると錦の御旗には逆らわない方が無難ということになります。

もちろん、「これで人種差別がなくなるのならいいんじゃないの?」と考える向きの方もたくさんいると思うのですね。

しかし、世の中の弾圧や虐殺はすべて正義の名で行われてきました。ヒトラーのユダヤ人大虐殺も、スターリンによる粛清も、あるいは犠牲者1000万人と言われる文化大革命の弾圧も、すべて「正義の行動」の結果なのです。

ですから今回のBLM運動も、このまま放っておくと急速に形を変えて、ないにかとんでもない言論弾圧や人権侵害に繋がっていくのではないかと強く危惧しています。

※この文章は単品で100円ですが、1000円でこのマガジンを購入すると、1ヶ月20本くらい読めるので1本50円です。このマガジンでは教育のこと、テクノロジーのこと、あるいは経営に関するなどなど、僕がシリコンバレー、フィリピン、日本の3拠点でビジネスをする中で得た気づきを書き綴っています。

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