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文明が発達すればするほど、僕らはアホになります

松井博

かつて僕がまだ子供だった40年くらい前の頃、「今の子は何にもできない」って親世代によく言われたんですね。当時の大人たちが子供だった第2次世界大戦前には、家事労働の一環として普通に子供達が薪割りをして風呂を沸かしたり、よもぎを採ってきて草もちを作ったり、魚を干して干し魚を作ってたわけです。要するにただ生きていくだけのために、結構色々なことを出来る必要があったんですね。また鉛筆削りもまだ存在せず、全てナイフで削っていたそうです。「今の子は鉛筆も削れない」ってよく言われたものです。しかもカッターナイフなんてないから、肥後守で削っていたそうです。刃物を研ぐことも、みんな普通に覚えていったようなのですね。当時の普通の少年たちはみんな肥後守のナイフを持っていたそうですが、学校に行く前にナイフで鉛筆を削って行くとか、学校にも普通にナイフを持っていくとか、今になって考えると、にわかには想像しにくいですが、それが普通の生活だったようです。

そこからまた50年も前に遡って明治半ばまで戻れば、電気も乗用車も鉄道も何もないわけです。きっと街は暗かったでしょうし、移動だって大変だったことでしょう。本当に一体どんなふうに暮らしていたんでしょうね?

僕が生まれ育った戦後昭和はそれほど大変なことはありませんでしたが、それでもやっぱり、色々と面倒なことがたくさんあったわけです。例えば、パソコンもワープロもありませんから、誰しもが普通に手紙を書いていました。僕が留学中にもずいぶん書いた覚えたあります。勿論すべて手書きでした。

それから、電話は一家に1台しかないので長電話をしていると叱られましたし、誰でに10人分くらいはの電話番号は暗記していました。また、地図を読めることは重要なスキルでしたし、抜け道をよく知っていると尊敬されたものです。また、グーグルなんてありませんから、何か調べたかったら図書館に行って調べるのが本当に当たり前ことだったのです。

お風呂を沸かすのも、マッチを擦って湯沸かし器に火をつけていましたし、ぬか漬けは買うものではなく、家庭でつけるものでした。テレビは1台しかなく、暖房器具といえば石油ストーブで、これまたマッチで火をつけていました。鰹節は家庭で削るものでしたし、買い物に行って野菜を買うと新聞紙に包んで売ってくれたものです。

インフラもまだ微妙で、ちょっと雷雨に見舞われたりすると、その都度停電していました。ろうそくをつけて数時間すごくことのよくあり、それはそれで実に楽しかったものです。

そしてさらに無能になる
しかし、テクノロジーが発達してこれらのスキルは全て無用になりました。電話番号を覚えられなくなって早20年くらい経ちますし、地図が読める必要もありません。それどころか、なんの知識もなくなったのです。ググれば瞬時に出てくるからです。

※この文章は単品で100円ですが、1000円でこのマガジンを購入すると、1ヶ月20本くらい読めるので1本50円です。

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